【三井寺(園城寺)】広い境内に見どころ満載!ここは絶対見逃すな!

滋賀県大津市にある『三井寺(みいでら)』の正式名称は『園城寺(おんじょうじ)』といい、天台寺門宗の総本山です。

その歴史は平安時代から1100年以上という古刹(こさつ※古い寺)であり、東大寺・興福寺・延暦寺・三井寺(園城寺)を称して『本朝四箇大寺(ほんちょうしかたいじ)』と呼ばれた時代もあったほどの古刹です。

『三井寺』にはたくさんの国宝や重要文化財などがあり、四季折々の見所に溢れる素晴らしいお寺です。

今回は、そんな『三井寺』歴史や見どころを分かりやすくご紹介します。

目次
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三井寺の歴史

まずは『三井寺』の歴史から学びましょう!

『三井寺』は古代最大の内乱『壬申の乱』で敗れ自害した、大友皇子(おおとものおうじ)の子・大友与太王(よたのおおきみ)によって創建されました。

大和時代667年、天智天皇(てんじてんのう)は、近江大津に都を遷しました。

672年、天智天皇が亡くなると、皇位継承をめぐって、天智天皇の子:大友皇子(おおとものおうじ・弘文天皇)と、天智天皇の弟:大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)との間で『壬申の乱』が起こり、大友皇子は戦いに敗れ、25歳の若さで亡くなります。

その子:大友与多王は父の霊を弔うために自分の『田園城邑(でんえんじょうゆう※城壁にかこまれた町)』を寄進し、天智天皇が所有していた念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺院の建立を発願し、686年、天武天皇に許可され『園城(おんじょう)』という寺号を与えたのが始まりとされています。

なお、『三井寺』という名称は、天智天皇・天武天皇・持統天皇の三帝の誕生の際に産湯をつかった霊泉があることから、『御井の寺』という意味で『三井寺』と言われています。

現在もこの霊泉はポコポコと祠の中で湧き出ており、その音を聞くことができます。

その後一旦荒廃するも、858年比叡山で修行を行った後、唐に渡った『智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)』によって再興され、天台宗の寺院としての歴史が始まります。

唐より持ち帰った大量の経典などを納めました。三井寺は顕教・密教・修験道の兼学道場として発展し、比叡山延暦寺と肩を並べるほどの大寺院となっていきます。

円珍の没後、比叡山内では激しい対立が起こり、武力衝突まで起こるようになります。

円珍の一派は比叡山を下りて三井寺を拠点とし、このときから延暦寺を『山門』、三井寺を『寺門』と称して、天台宗は二分され、長く『山門寺門の抗争』がくりかえされることになります。

この対立は中世末期まで続き、三井寺は比叡山修徒によって50回以上も焼き討ちにあっているそうです。

また三井寺側も兵力を蓄えてこれに対抗し、両派ともに、歴史上でも重要な場面で登場するまでの兵力となっていきました。

鎌倉時代1285年の時点では、中院74院、北院124院、南院140院もの子院が存在する大寺院でした。

1571年、織田信長は比叡山を焼き討ちしたとき三井寺に本陣を置きました。

1595年、天下を取った豊臣秀吉の怒りにふれ、三井寺は寺領を没収され、廃寺を命じられます。

金堂が延暦寺西塔に移設されるなど、この時にも伽藍の大部分が失われます。

その後、豊臣秀吉の正妻ねねや徳川家の支援により1599年に再建されます。

豊臣秀吉の怒りに触れたものの、再建の許可が出て、正妻であったねねが遺志を継ぐことで、再建が行われました。

幾度となく再建を果たした貴重な寺院となっています。

長い歴史を誇りますが、源平の争乱や南北朝の争乱などに巻き込まれ、幾度となく焼き討ちなど遭いますが、その度に復興を果たしていることから『不死鳥の寺』とも呼ばれています。

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三井寺の見どころ

それでは『三井寺』の見どころを順にご紹介していきます。

主なルートは仁王門から金堂へ、その後、観音堂方面へと北から南に向かって参拝する順路です。

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仁王門

こちらは三井寺の大門にあたる『仁王門』です。

室町時代1452年の建立と推定され、近江の『常楽寺(じょうらくじ)』にあった門で、豊臣秀吉によって伏見に移されたものを、1601年、徳川家康の寄進により移築されました。

現在は重要文化財となっています。

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釈迦堂(食堂)

『仁王門』すぐ右側にある『釈迦堂(食堂)』です。

こちらは室町時代初期に建立された建物で釈迦如来を本尊とし、重要文化財に指定されています。

御所の清涼殿(ごしょせいりょうでん)を下賜(かし※高貴の人が、身分の低い人に物を与えること)されて移築したものと伝えられています。

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辨財天社|延命・財宝を得しめる神

1683年(天和3年)に建立された『辨財天社』です。

ご本尊の『辨財天』は『八臂像(はっぴぞう)』で鉾、剣、斧、鈷、輪、索弓矢を執り、能弁及び学問、技芸の徳を備える女神様です。

金堂|絶対秘仏の弥勒菩薩

奥に進んでいくと三井寺の総本堂となる、檜皮葺きが美しい『金堂(国宝)』がございます。

現在の金堂は1599年(慶長4年)、豊臣秀吉の正室北政所によって再建されたものとなっており、三井寺境内においてもひときわ大きな存在感を示しています。

ご本尊として天智天皇の念持仏とされる『弥勒菩薩(みろくぼさつ)』がお祀りされています。

1300年余り前、三井寺が創建されたときに天武天皇から賜ったと伝えられていますが、絶対秘仏のため、本尊を拝んだ人は誰もいません。

寺伝によりますと、三寸二分(10㎝弱)の像で、中国から百済(くだら)、日本へと伝わり、天智天皇が崇拝されたそうです。

常に光を放ち、全身があたたかく『生けるがごとし』の霊仏と伝えられています。

金堂内には、重要文化財に認定された仏像が多数あり、千手観音立像、不動明王坐王像などの貴重な文化財がずらりと並んでおり、それらを間近でご覧いただけます。

また、その金堂のすぐ目の前には樹齢約千年ともいわれる立派な『天狗杉』がそびえ、金堂に負けじと存在感を放っています。

堂前灯籠|天智天皇の薬指が!

『金堂』の前には天智天皇が大化の改新で蘇我氏一族を誅し、その罪障消滅(ざいしょうしょうめつ※仏教で、生まれ変わって極楽へ行くのに妨げとなる悪い行いが、消え去ること)の為、天皇が自らの左薬指を切り、この灯籠の台座下に納められたと伝えられています。

よって別名『無名指灯籠』と呼ばれています。

※無名指(むめいし):くすりゆびのこと

三井の晩鐘|日本三名鐘の1つ

こちらは金堂の南東には近江八景のひとつにも数えられている『三井の晩鐘(みいのばんしょう)』で名高い鐘をつるす鐘楼があります。

この鐘は音色が優れており『声の三井寺』、『形の平等院(宇治)』、『銘の神護寺(高雄)』として、『日本三名鐘』のうちの1つに数えられるもので、特に音色が美しいとされ除夜の鐘としてもお馴染みです。

環境庁の『残したい日本の音風景100選』に選ばれました。

乳(鐘のまわりについているイボのような突起)の数が全部合わせると百八個となり、百八煩悩(ぼんのう)にちなんだ乳を持つ梵鐘の在銘最古遺品です。

県の重要文化財にもなっており、1595年、三井寺は豊臣秀吉により、寺領取り上げ諸堂取壊となりましたが、現在の鐘楼は1602年に再建、再鋳造されたものとなっています。

隣接する売店風の窓口で申し込みすると、誰でも撞くことができます(冥加料300円)。

閼伽井屋|天智・天武・持統の三帝の産湯

1600年、金堂の西側に高台院によって建立された『閼伽井屋(あかいや)』です。

内部では今もボコボコと不思議な音をさせながら水が涌いていおり、この水は天智・天武・持統の三帝の産湯に使用されたといい、このことから『御井の寺』と呼ばれていたものが、いつしか『三井寺』となりました。

古来、閼伽水(あかみず※仏前に供える水)として金堂のご本尊に供えられてきました。

現在の閼伽井屋は桃山時代の再建で、この閼伽井屋の軒下には左甚五郎作とされる龍神の彫刻があります。

この龍が夜ごとに琵琶湖に出ては暴れたので、甚五郎自ら龍の目玉に五寸釘を打ち込んで鎮めたという伝説が残されています。

閼伽井石庭|日本最古の石庭

奥に進んでいくと、日本最古の石庭として知られる『閼伽井石庭』があります。

不老不死の地と考えられている霊山を形とった石組みで、中央より人・神佛・鶴・亀と配されています。

熊野権現社|三井修験道の鎮守神

1159年(平治元年)、こちらに熊野権現が勧請され、三井修験道の鎮守神とされました。

現在の社殿は1837年(天保8年)に再建されたものです。

霊鐘堂|弁慶の引き摺り鐘

こちらは金堂から少しだけ高い位置にある『霊鐘堂(れいしょうどう)』です。

この鐘は三井寺の初代梵鐘で、総高199㎝、口径123.2㎝、重さ2.25t、銅鋳造、奈良時代の作と伝えられ、この鐘にはさまざまな伝説があります。

平将門の乱で功績をあげた藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が三上山のムカデ退治のお礼に琵琶湖の龍神からもらった鐘を三井寺に寄進したという伝説があります。

またこの鐘は、あの弁慶が比叡山へ引き摺っていった後、谷底へ投げ捨てた『弁慶の引き摺り鐘』としても知られています。

比叡山と三井寺との争いのとき、比叡山の僧兵だった弁慶が鐘を奪って、比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると、『イノー、イノー』と響きました。

『イノー』は関西の言葉で『帰ろう』という意味。

弁慶は怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまい、再び三井寺に戻されたものとされています。

不思議な現象の例として、悪いことが起きる前は鐘を鳴らしても音が鳴らなかったり、良いことがあるときは自然に鳴るそうです。

こちらは、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)が実際に使っていたと言われる大釜です。

実は、武蔵坊弁慶は実在の人物ではなく、比叡山延暦寺から源義経(みなもとのよしつね)を庇護した三井寺派閥の僧侶たちを指すとも言われています。

そのため、この梵鐘や釜は、このお寺と延暦寺の抗争を象徴する遺構として知られています。

一切経蔵|学業成就、豊かな学徳を授かる

霊鐘堂を抜けた左側に『一切経蔵(いっさいきょうぞう)』が見えてきます。

1602年に毛利輝元によって、山口県・国清寺より移築・寄進されたもので、重要文化財に指定されている建物です。

こちらが『一切経堂』の内部です。

この経蔵には、仏教聖典の総集編である『一切経(いっさいきょう)』を納める回転式の蔵が収蔵されています。

仏の広大無辺(こうだいむへん)の智慧(ちえ)を人間の言葉に表したもの。学業成就、豊かな学徳を授かるようにお祈りします。

唐院|三井寺の中で一番の聖域

三井寺の『唐院』と呼ばれる一角です。

開祖・智証大師円珍の廟所(びょうしょ※先祖を祀っている場所のこと)です。

唐院は、当時の開祖『智証大師円珍和尚』の廟として最も神聖な場所で、唐院の名前は、智証大師が入唐求法の旅で持ち帰った経典類を納めたことに由来します。

写真は唐院の入り口に当たる『唐院四脚門(とういんよつあしもん)』は、1624年(寛永元年)に建てられたもので重要文化財に指定されています。

三重塔

こちらは重要文化財に指定されている『三重塔(さんじゅうのとう)』です。

桃山時代の1601年に、徳川家康の寄進により移築されたものです。

もとは奈良県吉野の比蘇寺(現在の世尊寺)の東塔で、豊臣秀吉が伏見城に移していたものを再び移建しました。

木造・釈迦三尊像が安置されています。

大師堂|唐院の中心となる仏堂

奥に見えるのが豊臣秀吉により、1598年(慶長3年)に建てられた『大師堂(だいしどう)』です。

大師堂の中央の厨子に、国宝の木造智証大師坐像2体(中尊大師・御骨大師)が安置されており、重要文化財に指定されています。

大師堂は唐院の中心となる仏堂です。

灌頂堂|伝法潅頂の道場

こちらは『潅頂堂(かんじょうどう)』です。

現在の潅頂堂は慶長年間に大師堂の拝殿として、また密教の奥義を伝える伝法潅頂(でんぽうかんじょう※密教を修行したすぐれた行者に、阿闍梨【あじゃり】の位を許すための灌頂)の道場として再建されました。

こちらも重要文化財に指定されています。

村雲橋

唐院のすぐそばには『村雲橋』という石橋が架かっています。

その昔、三井寺中興の祖とされる智証大師・円珍和尚はこの橋を渡っている時、かつて修行をしていた唐の青龍寺が燃えていることを感知したといいます。

すぐに真言を唱え橋の上から水をまくと、ひとすじの雲が青龍寺へと飛び立ち、火を消したと言い伝えがあるそうです。

微妙寺|日本三不動の黄不動尊

金堂から唐院を経由し観音堂へ向かう途中に、三井寺の別所寺院の一つ『微妙寺(びみょうじ)』があります。

湖国十一面観音霊場の第一番札所となっています。

994年(正暦5年)に『慶祚阿遮梨(けいそあじゃり)』によって開基された三井寺の五別所の一つです。

慶祚とは学徳に優れ、天台教学の興隆に大いに功績のあった高僧

こちらには『金色不動明王(黄不動尊)』がお祀りされています。

こちらの黄不動は日本三不動の一つです。

838年(承和5年)三井寺の祖:智証大師が比叡山で修行中に忽然として光り輝く金人が現われました。

その感得された姿を写したのが『金色不動明王(黄不動尊)』です。

霊験あらかたな尊像は他に類例がなく秘仏とされています。

ご本尊の『十一面観音像』は9世紀の平安時代に作られたもので、古来より、厄除開運・健康長寿・財福授与などを願って参拝者が押し寄せ、かぶっていた笠が脱げるほど賑わったことから『笠ぬげの観音さま』と呼ばれ信仰されています。

文化収蔵庫

『微妙寺』のほぼ向かいには『文化財収蔵庫(大人300円)』があります。

平成26年に完成した白く真新しい建物の内部には三井寺の貴重な仏像や仏具などが納められています。

天台智者大師|天台宗の開祖

こちらは天台智者大師です。

中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖です。

『智者大師(ちしゃだいし)』とたたえられています。

衆宝観音|出世が叶う観音様

観音堂への参道途中に、白いきれいな観音像『衆宝観音』があります。

三十三観音の一つで、衆宝とは、財宝のことです。

この観音様を信仰すると、財宝が貯まり、福徳を授けられ、出世が叶うと言われている有り難い観音様です。

毘沙門堂

微妙寺の南側、少し高台に位置する場所には『毘沙門堂(びしゃもんどう)』があります。

1616年(元和2年)に三井寺五別所のひとつ尾蔵寺の南勝坊境内に建立されました。

1909年(明治42年)に三井寺南院に移され、さらに1956年(昭和31年)の解体修理にともない現在地に再度移築されました。

毘沙門天がお祀りされています。

十八明神社|延暦寺への強念が8万4千匹のねずみに!

こちらは山内の土地、伽藍を守護する神々を祠る『十八明神社』です。

別名『ねずみの宮』と呼ばれています。

太平記によれば、当寺の戒壇道場建立の勅許を比叡山延暦寺の強訴により取り消されました。

これに怒った頼豪阿闍梨(らいごうあじゃり※平安時代中期の天台宗の僧)は二十一日間の護摩を焚き壇上の煙と果てました。

その強念が8万4千匹のねずみとなり、延暦寺に押し寄せ、堂塔や経巻を喰い荒らしたと伝えられています。

現在の建物は1836年(天保7年)に再建され、延暦寺に向かって建てられています。

観音堂|すべての人々や生き物たちを救ってくれる

こちらが三井寺の金堂や唐院の南側の高台に建っている『観音堂』です。

ご本尊は『如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)』で、西国33ヶ所霊場の第14番札所としても広く信仰を集めています。

6本の腕を持ち、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)に迷うすべての人々や生き物たちを救ってくれます。

特に、長寿・病気治癒・子宝・安産などにご利益をいただけます。

本尊の如意輪坐像坐像は33年に一度開帳される秘仏です。

『観音堂』は南院札所伽藍の中心建築で、後三条天皇の病気平癒を祈願して1072年(延久4年)に創建されたと伝えられています。

その後、現在地への移築と焼失を経て、1689年(元禄2年)に再建されました。

鐘楼

こちらが1814年(文化11年)に建てられた『鐘楼(しょうろう)』です。

百体観音堂|百体観音様のスペシャルパワースポット!

こちら『百体観音堂』は1753年(宝暦3年)に建立されれ、滋賀県指定文化財に指定されています。

西国礼所の三十三観音像を祀っており、右には坂東三十三箇所、左には秩父三十四箇所の本尊を安置しています。

その事から、合わせて百体の観音像を安置しているので『百体観音堂』と呼ばれています。

一気に百観音をお参りできるスペシャルパワースポットですね!

観月舞台

こちらは1849年の建立された『観月舞台(かんげつぶたい)』です。

古来より観月の名所として知られ、琵琶湖や大津の町並みを一望できます。

三井寺辨慶力餅

観音堂の境内には、200余年も続く名店『三井寺辨慶力餅』があります。

抹茶きな粉をふんだんに使ったお団子とお茶を、その場でお召し上がりいただけます。

ほどよい甘味のお団子とお茶の相性は抜群です。

飲食スペースは涼しい木陰になっているので、散策の合間にお団子を食べつつ休憩するのに非常に適していますよ。

大津そろばん|そろばん発祥の地?!

観音堂の横手のなだらかな階段を登ると、琵琶湖が一望出来る高台につき当たります。

そこに、そろばんの玉をあしらった『大津そろばん記念碑』が建っています。

『そろばんと言えば大津、大津と言えばそろばん』と全国に名を馳せた大津そろばん!

大津はそろばん発祥の地らしいです。(※諸説あり)

世継地蔵堂

観音堂の境内から少し階段を下った所に『世継地蔵堂』があります。

水観寺|薬師如来をお祀り

観音堂から駐車場へ戻る途中にあるのが『水観堂』です。

水観寺は園城寺の五別所寺院の一つで、1040年(長久元年)に明尊大僧正(みょうそん)が創建したと伝えられています。

現在の本堂は、1655年(明暦元年)の再建で、1988年(昭和63年)に現在地に移築され、薬師如来が祀られています。

護法善神堂|安産や子供の無事成長を祈願

こちらは三井寺の鎮守社の一つである『護法善神堂(ごほうぜんしんどう)』です。

現在の社殿は1727年(享保12年)に再建されました。

重要文化財の護法善神像をお祀りしています。

護法善神は鬼子母神(きしもじん※仏教を守護する善女神の一人。 多くの子をもっていたが,常に他人の子を奪って食べるので,仏が鬼子母の子を隠して,子を食う罪をさとした。 以後仏教に帰依し,その守護神となったという)として信仰され、1363年(貞治2年)に足利尊氏によって社殿が再建されたのを機に始まった祭礼は、鬼子母神の千人の子供にちなんで千個の団子を供え、安産や子供の無事成長を祈願する『千団子祭り』として現在も続いています。

映画の撮影場所|るろうに剣心 ファンの聖地

また、三井寺は映画の撮影場所としても、よく使われています。

この場所は映画『るろうに剣心』の1作目クランクインの場所。

作品の『はじまりの地』として、重要な役割を担っているロケ地であり、最終章にも登場しています。

この石橋以外にも、戦いのシーンが撮影された場所などもあり、 『るろうに剣心』 ファンにとっては、聖地となっています。

風情ある三井寺境内は数々の時代劇ロケ地にもなっていて、特に金堂の南部に位置する唐院周辺は雰囲気もたっぷり。

唐院・四脚門へと続く石畳は『石榴坂の仇討ち』のロケ地として選ばれています。

ここは映画『天地明察』の最初のロケ地です。

入山料

三井寺の入山料【個人】

大人600円、中高生300円、小学生200円

三井寺の入山料【団体】

大人550円、中高生250円、小学生150円※30名以上で団体扱いになります。

動画で参拝

チャンネル登録・高評価宜しくお願いします。

御朱印|99と100枚目の御朱印を頂きました!

こちらが三井寺の金堂の御朱印になります。

三井寺には御朱印がたくさんあり、境内の計5か所に授与所がございます(①釈迦堂②金堂③微妙寺④観音堂⑤水観寺)。

こちらは微妙寺の黄不動尊の御朱印になります。

アクセス|駐車場も広いのでアクセス抜群!

京阪石山坂本線『三井寺駅』下車:徒歩9分(650m)

京阪石山坂本線『大津市役所前駅』下車:徒歩9分(650m)

JR東海道本線(琵琶湖線)『大津駅』またはJR湖西線『大津京駅』下車:京阪バス三井寺下車すぐ

駐車場/大型バス30台、普通車350台ほど

駐車料金/大型バス:2,000円、マイクロバス:1,500円、普通車:500円

三井寺(園城寺):〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246

まとめ|質の高さは全国でも屈指のお寺

三井寺は如何でしたでしょうか?

三井寺には国宝10件・重要文化財42件の国指定文化財が示すように、質の高さは県内はもとより全国でも屈指のお寺で見応え充分です。

大小合わせると50回にのぼる焼き討ちや、廃寺の憂き目に遭いながらも、たくましく蘇ってきた不死鳥のような三井寺。

それだけに、境内のいたるところでパワー感じれると思います。

是非ゆっくり時間をとって参拝してみては如何でしょうか。

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