お賽銭っていくらすれば良いかと良く質問されますが、皆さんはどうお考えですか?
色々なサイトで見ていても、語呂合わせでお賽銭をしたり、お礼として自分の出来る範囲でしなさいとか尤(もっと)もらしい言葉で説明されていますが、実際お坊さんや神主さんに聞いてもまちまちなのが実情です。
ある神主さんに聞いた話で一番腑に落ちた説をお話ししたいと思います。
お賽銭とは元々神様仏様に対するお供えが根本にあり、お供えした後はお下がりとして有り難く戴きその恩恵にあやかる事が起こりですが、現在はお金と言う形になり、意味合いが少し変わっています。
今はお礼と言う形になっていますが、神仏がお金を求めるとは到底思えないし、じゃあ何故お金が必要なのか?
要は神仏をお祀りする事にも、そのお世話をする僧侶や神官の方が皆様のお気持ちで戴いたお賽銭により、お供えや掃除、お勤めをし続ける事が出来る為、神仏をその地にお祀りし続ける事が出来ます。
そのお陰で私達はずっとお詣りが出来、神仏のご加護を受ける事への感謝がお賽銭だとお聞きしました。
いくら払えば良いとか、いくらならご利益があると言う発想は、下世話な世間の考えで、神仏からは程遠いものです。
人は困っているからこそお詣りに行く方が多い、苦しい時は出来る範疇で金額は考えれば良い!
上手く行ってから、別に金額は関係ないからなんて考えの人はまた落ちて行きます。
それはお賽銭の金額の問題ではなく、気持ちの持ち方の問題です。
もっと神仏にすがり、その恩恵に感謝して、自分の出来る行動でお返しすれば良いと思います。
人によってはお金かもしれません。
ボランティアかもしれません。
あなたの心に受けた恩恵を周りの人達にお返しする事は回り回って、神仏のお心持ちが伝わりお詣りする方が増え、自ずと神仏のお祀りの維持に伝わります。
語呂合わせは神仏には関係なく、自分自身の厄落としや風水的観点から数字の持つ力にあやかる方法ですので、違う発想で、お賽銭のすべき金額とは直接的関係はなく、募金であっても、宝くじでもお金を手放す行為に意味がある場合があります。
小難を受ける事で大難を避ける考えに基づいています。
形だけ真似るのではなく、基本の考えをしっかり持つ事は大事な事と思います。