お坊さんの服(=法衣)のお話【第3話】

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ご挨拶

善逝(ぜんぜい)と申します。

ご縁あって、このなないろでブログ記事を掲載いただくこととなりました。

仏教にまつわる歴史的なお話しですとか、参拝や、仏事の作法などなど・・

いろいろお伝えしていきたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

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本題

さて、僧侶の服装もいろんな文化が入り込んでいることについて、お話しいたしました。

最後に、明治以降の改良服運動についてお話ししていきます。

明治は色々な意味で、生活の細かいところまで洋風化が取り入れられました。

衣食住の内、食では、和食の対義語として、洋食という言葉が作られるほどに洋風化が目指されましたが、衣についても、例外ではありませんでした。

庶民の服装として、和装と洋装の中間とも言える服が作られ、それらは概ね「改良服」と呼ばれました。医師の制服とか作業着とかにも改良服があったようですので、今の想像を超えた規模の革新運動だったように感じています。

少し余談になりますが、私は、和洋共に素晴らしいと思っていますが、和装を「改良」するという意味は、何か寂しさを覚えてしまいます。

話を戻します。

こうした服の革新運動は、法衣についても同様でした。

現在、最も略式の法衣として改良服、改良衣と呼ばれるものがあります。

他の法衣より、袂が小さく、着丈も短いものです。

おそらく最も身近に目にするものがこの改良服だと思います。

明治の悪名高き、神仏分離の政策で、これに関する一連の通達の中に、法務以外は普段着を着なさいというものがありました。

それまで僧侶は、ほとんどの時間を法衣で過ごしていたようですので、突然普段着を着ろと国から言われても、心情的にすぐ切り替えられなかったのは想像ができます。

そのため、正式ではなく略式の法衣として、新たに作られたのがこの改良服です。

ですから、元々は普段着として着ていたようです。

今では、仏事の往復なんかに着ますかね?

私は、法事等に行く往復で改良服を着て、現地で着替えてお勤めする形をとっています。

明治以前の服装などがどんなものだったのか、この改良服運動一つを見ても、興味が深まるところです。

今回は、お坊さんの服装について、律衣の話を中心にいたしました。他にもいろいろあるのですが、また次の機会にいたします。

最後に・・

実は京都に古代から中世にかけての衣服の資料館があって、今は休館中のようですが、コロナが収まればぜひとも行きたい場所の一つです。

今回は、またこのへんで・・

あなたの心に涼やかな風がゆったりと流れることがあれば幸いです。

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プロフィール

善逝和尚

アラフィフの現役の密教僧侶

大学卒業後、教職員等として、教育畑で働き、20代後半から、心の成長についての探求を始める。

一念発起し、教職員の仕事を辞め、大学院で臨床心理に関する研究と心理分析に関する実践を行う。

大学院修了後、児童の心理相談員をする傍ら、在家でありながら、僧侶の資格も持ち、秘法の伝授も数多く受け、加持祈祷や、お祓いなども多数行う。

現在、スッタニパータなどの原始経典の読み取りに力を入れて、釈尊のお説きになった悟りとは何かを追及している。

M.Ed取得、心理臨床学会員

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