【湊川神社】楠木正成を感じれる神社!あの維新の志士達も参拝!

『楠公(なんこう)さん』の相性で親しまれている、『楠木正成公』を祀る『湊川神社(みなとがわじんじゃ)』は、毎年初詣には全国から100万人以上が参拝に訪れる、『生田神社』・『長田神社』と並んで『神戸三社』と言われている、神戸の代表的な神社の一つです。

今回は『湊川神社』のご祭神である『楠木正成公』の事から、ご利益、境内の見所、御朱印、アクセスなど、簡単に分かりやすくご紹介します。

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湊川神社の歴史を簡単にご紹介

湊川神社入り口

今それではまずは『湊川神社』の歴史を簡単に分かりやすくご紹介します。

『湊川神社』は鎌倉時代後期に活躍した名将『楠木正成』が祀られており、明治維新後に墓所のあったこの地に、明治5年(1872年)に明治天皇が『楠木正成公』の忠誠を後世に伝えるため、神社を創建されたそうです。

また、神社は功績があった実在する人物を祭神として祀っているところも多いですがそのさきがけとなったのが『湊川神社』とも言われています。

武将だった『楠木正成公』を祀る『湊川神社』は、1872年(明治5年)に日本で初めて『別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ)』となった神社です。

『別格官弊社(べっかくかんぺいしゃ)』とは、国家のために亡くなった、実在の武将や志士、兵士、さらに国家に功績を残した忠臣を御祭神として祀る神社のことです。

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湊川神社のご祭神と期待出来るご利益をご紹介

本殿

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ご祭神の楠木正成とは?

ご祭神は『楠木正成』がお祀りされています。

『大楠公(だいなんこう)』の愛称で知られる『楠木正成公』は、南北朝時代に活躍した武将です。

河内地域を治めていた正成公は文武に長けており、後醍醐天皇に召し出され鎌倉幕府の倒幕計画に協力。数万の兵を有する幕府軍に比べ少ない兵力しかなかった正成公の軍勢は、知恵と奇抜な戦略で、それまでにない意外な戦法を次々とくりだし、結果、後醍醐天皇方を勝利へと導きました。

そして、倒幕後、政治の立て直しのために後醍醐天皇が進めた政策に不満を抱えていた足利尊氏は反旗を翻し、再び戦いが起こってしまいます。

このとき正成公は、いち早く天皇側の劣勢に気付きながらも、最後まで忠誠を尽くし戦い、足利尊氏の軍勢数万に対し、わずか700騎ほどで激戦の末、延元元年(1336年)5月、遂に力尽きてこの湊川の地で殉節しました。

そんな正成公の『私利私欲のない至誠の精神』は死後も、戦国武将、江戸期の学者、維新の志士達、そして庶民まで広く支持されたんですね!

楠木正成は皇室に忠義を尽くした第一の功臣で南北朝時代、武家政権を倒して天皇自身が政治を行う天皇親政を実現しようとした人だったので、特に尊王思想が高まった幕末になると、天皇に忠節を尽くした『楠木正成』は神格化されます。

維新志士らは、楠木正成の志と活躍を、自分たちと重ね、楠木正成ら南朝の忠臣らを理想としたそうです。

正成公の忠誠心は、多くの志士たちの精神的な指導力となり、実際に、境内にある『大楠公墓所』には、吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文、坂本龍馬、大久保利通、西郷隆盛など、多くの有名な志士たちが訪れています。

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ご利益

ご祭神である『楠木正成公』は、智・仁・勇の三徳を備えた人物と言われていることから、『魔除け開運』のほか、『国家安泰』・『家内安全』・『健康長寿』・『学業成就』・『合格祈願』・『開運招福』のご利益があるとされていう神社です。

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境内の見所を紹介

境内案内図

それでは境内の見所をご紹介します。

表神門

表神門

こちらは『表神門』になります。ここから境内へと入っていきます。

鳥居には秘密が・・・

鳥居

『表神門』から入ると『鳥居』があります。

写真では分からないですが、この『鳥居』の左側の『笠木(かさぎ)※鳥居の上に横にわたす木』の部分は鳥籠のような網目になっています。

この中には、被災した『氏子(うじこ)※氏神が守ってくれる範囲に生まれた者』たちの祈願文が収められたタイムカプセルが入っているらしいです。そのカプセルが明けられるのは、震災から100年後の2095年らしいです。

公開されるその日まで、平和でありますようにと願いながら通りたくなる特別な鳥居です。

本殿

メインの『本殿』です。

『湊川神社』の現在の本殿は、神戸空襲によって焼失したが、復興するために昭和27年に再建されたものです。

現在の『本殿』は、戦後の新しい神社建築様式としては代表的な建物とされています。

菊水天満神社|合格祈願

菊水天満神社

『湊川神社』の社殿の横にある末社『菊水天満神社』があります。

こちらには『学問の神様』として有名な『菅原道真』が祀られていて、『合格祈願』に訪れる方が多いです。

撫で牛

そして、右手には北野天満宮同様に牛の座像『撫で牛』もあります。

しっかりとなでて、学業成就を祈願しましょう。

楠木正成の最後の地

殉節地
引用:https://reki4.com/00137.html

『社殿』を挟んで『菊水天満神社』の反対側には楠木正成の最後の地『殉節地(国指定史蹟)』があります。

そこは聖域であり、通常は門扉が閉ざされています。

楠木正成公が、ここ湊川で新田義貞と足利尊氏の大軍を迎え撃ち、湊川神社に落ち延び、延元元年(1336年)の5月25日、『これまでの命』と覚悟した『楠木正成』は、弟の『正季(まさすえ)』らの一族と『七生滅賊(しちしょうめつぞく)』を誓い、共に刺し違えてこの地で殉節したと伝わります。

『七度生まれ変わって朝敵を滅ぼしたい』と言う意味です。

楠本稲荷神社|商売繁盛・家内安全

楠本稲荷神社

こちらは境内にある末社『楠本稲荷神社』です。

『倉稲魂命(うかのみたまのみこと)』・『猿田彦命(さるたひこのみこと)』・『大宮女命(おおみやめのみこと)』が祀られていて、湊川神社建立前から鎮座していたそうです。

お稲荷さん特有の朱色の鳥居が連なる奥に小さなお社に辿り着きます。

赤い提灯

ご利益は『商売繁盛』、『家内安全』でこれらのご利益を求めて手を合わす参拝者の姿が見られます。そしてお社の天井には、無数の赤い提灯が掲げられています。

不思議な魅力を持つスポットですので、是非、足を運んでみてください。

楠木正成公の墓碑|大願成就のパワースポット

大楠公御墓所入り口

湊川神社の表門のすぐ右には楠木正成公の『大楠公御墓所』があります。

元禄5年(1692年)、大日本史の編纂(へんさん)を進めていた水戸光圀公(水戸黄門様)がこの地を訪れ、『楠木正成公』の墓が荒れ果てていたのを見ました。

それを悲しんで、忠誠と正義を貫いた『楠木正成公』を慕って、墓碑を建立させたと言います。

大楠公の御墓所

こちらが中にある『大楠公の御墓所』です。

『大願成就』にご利益があると言われている場所で、国を思う精神を手本にと、維新志士の育ての親と言われる吉田松陰も楠木正成公の墓前に4度も行ったとされていますし、坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允近藤勇など倒幕派、佐幕派を問わず歴史を動かした幕末の有名な志士たちがこぞって詣でたと言われています。

徳川光圀公の銅像

徳川光圀公像

楠木正成公の墓所のすぐ近くには、建立に尽力した『徳川光圀公』を追慕し、人間国宝・平櫛田中(でんちゅう)作の『徳川光圀公像』も建立されています。

御朱印|11枚目の御朱印を頂きました!

御朱印

こちらが御朱印になります。湊川神社の御朱印は奉拝という言葉と菊水の意匠です。

菊水は『楠木正成』が後醍醐天皇から拝領した家紋です。

アクセス|駅近ですよ!

湊川神社入り口

電車の場合

JR『神戸駅』より北へ徒歩約3分

神戸市営地下鉄山手線『大倉山駅』より南へ徒歩約5分

神戸市営地下鉄『ハーバーランド駅』より北へ徒歩約5分

阪急・阪神『高速神戸駅』東改札よりすぐ

車の場合

阪神高速3号神戸線:『京橋IC』『柳原IC』より約10分

湊川神社:〒650-0015 兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目1−1

まとめ|歴史好きな方には特にお薦め神社!

表神門上

『湊川神社』は、兵庫県でも『生田神社』、『長田神社』と共に人気の神社の一つです。

そして神戸の代表的な神社である『生田神社』・『湊川神社』・『長田神社』の3つの神社に初詣に巡ることを『神戸の三社参り』と言い、兵庫県内ではとても人気がある初詣コースとなっています。

『湊川神社』は、境内も広く、都会にありながら、厳かな空気を感じられ、楠木正成の最期の地や墓所など、歴史好きには見所もたくさんあります。神戸を訪れた際、是非足を運んでみては如何でしょうか。

近くにある『生田神社』と『長田神社』も参拝してご紹介しております!

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