神社では二礼ニ拍手一礼の一連の作業で、何かやった感がある。
だがお寺では手を合わすだけで煩悩に塗れた私達の願いが届いただろうか?
少し不安がよぎる。
心のどこかに、何か他に仏様に伝える的確な方法は無いかとつい思ってしまう。
経という方法があるが、長いし覚えられない。
そこで、経より短く個々の仏様に割り当てられていて、秘めたる力を持った呪文の様でかっこいい、お地蔵さんやお不動さんなどの脇に看板の様な板によく御真言と書かれてその後カタカナかひらがなで書かれた意味不明な呪文の様なものがある。
真言と言いお詣りする時に唱えるものだが、真言とは一体何なのか?
またどの様な効力のものなのか?
その点をお話しします。
ずばり真言はその仏様と繋がる呪文、パスワード、電話番号の様なものです。
真言を唱える事で仏様に通じ、自分の思いを直接伝える事が出来る。
仏像の前でないと使えないかと言うとそれはそうではない。
何処に居ても繋がれる有り難いもの。
携帯を持っていて電話番号を入れれば何処に居ても繋がる事と同じである。
だが携帯でも繋がらない事がある。
それは電波の状態だ。
お詣りの際電波に代わるものは何かと言うた自分自身の思いや念だ。
気持ちが強ければ何処に居ても真言で繋がれる。
じゃあ仏像は何の為にあるのか?
一々お詣りする必要性はない様に思うが、人とは対象物が無ければ明確に強い思いは持てないもの。
写真を見て彼女の事を思うのと、そうでないでは写真がある方が気持ちが入る。
仏様を思い描く場合やはり対象物がある方が良い。
それが仏像であり仏画なのだ。
思い描きやすいとは念が強くなる。
つまり真言を唱えても繋がりやすいという訳です。
お坊さんはいつでもどんな時でも強い念、気持ちを持てる様、煩悩を打ち消し仏様と一体になる為、修行されています。
真言を唱えなければいけない訳ではありませんが、何処かに書かれていれば読んで見て下さい。
いつもより自分の思いが伝わるかと思います。
有名な真言は次回ご紹介しようと思っています。