お坊さんの服(=法衣)のお話【第1話】

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ご挨拶

善逝(ぜんぜい)と申します。

ご縁あって、このなないろでブログ記事を掲載いただくこととなりました。

仏教にまつわる歴史的なお話しですとか、参拝や、仏事の作法などなど・・

いろいろお伝えしていきたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

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本題

今回は、お坊さんの服(=法衣)の話をします。

お彼岸とかお盆の頃には、バイクや自転車に乗ったお坊さんもよくお見かけします。

和服と言えば和服ですけど・・

和裁の心得があっても、意外にイメージが湧きにくい服でもあります。

そんな話をつらつらと・・

元々、お坊さんは国が認めた人にのみ、その資格を与えたということは以前にお話ししました。

これらの仕組みは古代法典とも言える大宝律令などに記されています。

ですので、お坊さんの衣服も律令に記されています。

これを律衣(りつえ)と言います。

律衣として規定されている僧侶の服は、褊衫(へんざん)というものですが、背中が襟下でパックリ分かれていて、着たことがなければ、どのように着るか想像できないものです。

そして、実際に着てみると、襟元が左前(左襟が手前)にくるようになります。

日本の服で、左前が標準なのはこの褊衫(へんざん)だけだそうです。

この褊衫(へんざん)に裙(くん)という巻きスカートのようなものを着けて、さらに同色の如法衣(にょほうえ)という袈裟を肩にかけて、律衣姿となります。

では、まず、この褊衫の色から、法衣、袈裟の話をしていきます。

褊衫の色は修行僧などは黒もあるのですが、特別なものでなければ、まず、やや茶色っぽい黄色です。これを壊色(えじき)といいます。

この色はトイレ掃除にも使えなくなった程にボロボロになった雑巾の色を表していて、糞尿の色に染まり、元々の布の色がわからなくなった「壊れた色」の意味を持っています。

そして、捨てるしかないようなボロボロの布を集めて大きな布に縫い合わせたものを身にまといました。

この布は、お釈迦様の頃から、修行僧が身に着けてきました。これを「糞掃衣(ふんぞうえ)」と言いますが、この言葉は比較的有名かもしれません。

ただ、寄進を受ける際に、寄進者から豪華な服や布をいただくこともあったようですし、また、いただいたものを辞退するという記録はほとんど見受けられませんので、頂戴したものはありがたくいただき、時には着したのではないかと推察されます。

話を戻しますが、元々は内側に着るものはなく、一枚の大きな布=袈裟を身に着けたということが元々の話になります。

また、今でも、袈裟は縦横に縫い目があり、小さな布が寄せ集められている形になっているのも、糞掃衣が理由になります。

さて、ここで少し想像してほしいのですが、お釈迦様がいらっしゃったインドの気候をイメージしてください。

その後、ヒマラヤ山脈を超えた、チベットやモンゴルあたりの気候も想像してください。

日本にたどり着いた大乗仏教の流れは、途中、チベット、モンゴルやトルキスタンあたりを経由して、中国に行きつきますが、その後の日本を含めて、布一枚だけでは到底寒い冬を越すことは困難なことです。

ですから、袈裟の内側に着る服が作られるようになります。

ところで、中国では北方や西方の民族に対しては「胡」と呼びました。中華思想に基づく差別的な意味も込められているので、あまりここでは使いませんが、彼らの服は「胡服」と呼ばれました。

実は胡服は左前に合わせる服だったようです。奈良時代に服は全て右前に合わせるという規定が作られましたが、褊衫は従来通りの形で残りました。つまり、和服に唯一残された左前の服のルーツは中国ではなく、チベット、モンゴルやトルキスタンにまで遡ることができると思います。

他にもいくつかルーツがあるようですが、まずは、袈裟の内側に着こむ服が作られるようになったということは、お分かりいただけたらと思っています。
(次回に続きます)

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プロフィール

善逝和尚

アラフィフの現役の密教僧侶

大学卒業後、教職員等として、教育畑で働き、20代後半から、心の成長についての探求を始める。

一念発起し、教職員の仕事を辞め、大学院で臨床心理に関する研究と心理分析に関する実践を行う。

大学院修了後、児童の心理相談員をする傍ら、在家でありながら、僧侶の資格も持ち、秘法の伝授も数多く受け、加持祈祷や、お祓いなども多数行う。

現在、スッタニパータなどの原始経典の読み取りに力を入れて、釈尊のお説きになった悟りとは何かを追及している。

M.Ed取得、心理臨床学会員

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