お坊さんの服(=法衣)のお話【第2話】

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ご挨拶

善逝(ぜんぜい)と申します。

ご縁あって、このなないろでブログ記事を掲載いただくこととなりました。

仏教にまつわる歴史的なお話しですとか、参拝や、仏事の作法などなど・・

いろいろお伝えしていきたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

本題

さて、続いて、日本での法衣の発達などをお伝えしようと思います。

まず、下着である襦袢の上に、今の和服の代表格とも言えます小袖を着ます。
そして、その上に褊衫などの法衣を着るという形ですが、和装としては最も丁寧な着方なのだそうです。

ちなみに内側の小袖は、礼服として古くから格式が高いと言われている白色となっています。

現在でも故人に着せる服は白の着物となっていますが、そのような意味から来ています。

また、今、和装、洋装共に礼服といえば黒になりましたが、黒になったのは明治以降の洋風化の影響が考えられます。

余談になりますが、数年前にNHKで、明治の時代を描いた司馬遼太郎氏の坂の上の雲がドラマ化されましたが、正岡子規の葬儀で、遺族は白の和装でした。僧侶も壊色のおそらく褊衫であったように見えますので、アーカイブを見る機会がありましたら、ぜひ、見てみてください。

話を戻します。

さて、色に格式としての意味がつけられていることについて、簡単に説明しました。

そして、僧侶の服は「壊色(えじき)」という色が使われているとお話ししました。

でも、お葬式などでは錦のきらびやかな袈裟や紫色の法衣を着ているお坊さんもお見かけすると思います。

これは、どういう意味でしょうか?

色の意味について、中国まで遡れるかはわかりませんが、概ね紫色が最上位になっていることなどから、少なくとも聖徳太子の冠位十二階、またはその後の七色十三階冠の色から来た可能性は考えられます。

元々、お釈迦様の時代は、出家者の間にも階層などはありませんでした。非常にフラットな社会だったようで、お釈迦様に対しても、弟子は気楽な呼び方をしていたようです。
また、十大弟子のシャーリポッタは、精舎に帰った時に、中が一杯で、誰もシャーリポッタに便宜をはからなかったそうで、結局中に入れず、精舎の外で野宿をしたとの逸話も残されています。

ですから、こうした階級やそれを示す色というのは、後年、教団化していく過程で作られていったことが伺えます。

少し長くなりましたが、お葬式での紫などの色衣は、故人に対して古代法に照らし合わせた最上位の服を来て礼をするという意味合いで考えていただけたらと思っています。

また、錦の袈裟についてですが、仏教が日本に入ってきた時から天皇を始めとする朝廷関係者に支持されてきましたし、貴族社会から武家に実権が移ると、皇族貴族の子弟で相続順位の低い方の多くは出家されるようになりました。ちなみに、現在の門跡寺院の言葉は、宇多天皇が出家されて仁和寺に入られたことに由来しますが、簡単には皇族、貴族から出家した人が住まう寺という意味合いを持ちます。

ですから、錦の袈裟が作られたことは容易に想像ができます。

まとめますと、お坊さんは質素を旨とすると、考えられているとは思いますが、日本史においては、皇族貴族から民衆に至るまで、信仰されてきましたので、それぞれ、いろんな文化が入り込んでいると考えた方が自然です。

そのことがわかりやすい一例が、僧侶の服装ではないかって思っています。
(次回に続きます)

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プロフィール

善逝和尚

アラフィフの現役の密教僧侶

大学卒業後、教職員等として、教育畑で働き、20代後半から、心の成長についての探求を始める。

一念発起し、教職員の仕事を辞め、大学院で臨床心理に関する研究と心理分析に関する実践を行う。

大学院修了後、児童の心理相談員をする傍ら、在家でありながら、僧侶の資格も持ち、秘法の伝授も数多く受け、加持祈祷や、お祓いなども多数行う。

現在、スッタニパータなどの原始経典の読み取りに力を入れて、釈尊のお説きになった悟りとは何かを追及している。

M.Ed取得、心理臨床学会員

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