【三光神社】真田山に鎮座する真田幸村ファンが必ず訪れる神社!

大阪市天王寺区にある『三光神社』の境内には真田幸村が大阪城への抜け穴として使っていたと言う『真田の抜け穴』があることで人気の神社です。

また、『三光神社』は古来より日本全国で唯一の『中風封じの神』として知られ、崇敬者は全国に存在しています。

今回はそんな『三光神社』の歴史、見どころなどを分かりやすくご紹介します。

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三光神社の歴史から学びましょう!

まずは『三光神社』の歴史から学びましょう!

『三光神社』は仁徳天皇の3代後の『反正天皇(はんぜいてんのう※古墳時代に在位したとされる天皇)』の時代という神代に創建されたと伝えられます。

三光神社の歴代神職には伝説の人物の『武内宿禰(たけのうちのすくね)』の子孫がなり、現在で86代目になるそうです。

江戸時代初期に一時、現在地の南東に移設されましたが、すぐに今の場所に戻ったと伝えられています。

当時は『姫山神社』と呼ばれていたが、1908年(明治41年)に『中風封じ』で名高い陸前国(現在の宮城県あたり)の『三光宮』を勧請(かんじょう※神仏の分霊を請じ迎えること)した為、『三光神社』という名称に改められました。

1945年に戦火で建物はほぼ全て焼失してしまいましたが、多くの人の協力により戦後徐々に復興し、現在は末社まで再建されています。

また、真田幸村が大阪城への抜け穴を掘った場所という伝説が生まれ、有名になりました。

景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇と神功(じんぐう)皇后に仕えるほど長命を保ち、蘇我氏・平群氏・紀氏・葛城氏など、中央豪族の祖となったといわれる、330歳まで生きた(?)伝説の人物です。
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三光神社の見どころ

それでは『三光神社』の見どころをご紹介します。

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本殿|中風封じの神

こちらが本殿になります。

ご祭神は、『天照大神(あまてらすおおかみ)』『月読尊(つくよみのみこと)』『素戔嗚尊(すさのおのみこと)』の3柱がお祀りされています。

『三光神社』は『中風封じの神』として有名ですので、ご利益は中風除けという事になります。

この中風は『ちゅうふう』と読みますが、『ちゅうぶう』、『ちゅうふ』などと読む地方もあるそうです。

中風とは、現代の医学的には『脳血管障害の後遺症によって起こる、半身不随、手足などの麻痺・痺れなどの症状』をさします。

この中風の病気を除いてくれる神様とされています。

三光神社といえば、どうしても真田幸村として有名ですが、このように病気平癒の神様が元々のご利益ということになります。

三光神社は病気平癒(中風病除)、長寿、金運のご利益があると言われている神社です。

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本殿には真田幸村だらけ

三光神社本殿に、真田幸村のねぶたが設置されています。

迫力があってかっこ良かったです!

更に本殿の中には真田幸村お馴染みの六文銭の入った赤の甲冑が展示されていました。

戦国時代好きなので思わずパシャリ!

定番の顔出しパネルもあります!

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寿老神|長寿と金運のご利益

本殿の向かいには七福神の一つである『寿老神(じゅろうじん)』の像があります。

『寿老神』は中国の神で顔の長い『福禄寿』と同一と言われており、長寿と金運のご利益があると言われています。

『寿老神』がお祀りされるようになったのは、歴代神職の祖先である『武内宿禰』が大変長生きした人物で、その長寿の縁で、長寿の神『寿老人』を祀ったと言われています。

また、この『寿老神』は江戸時代に始まったという大阪市内の3つの神社と4つのお寺から成る七福神めぐりの一つです。

『摂陽奇観(せつようきかん)』の1803年(享和3年)の条に『今年七福神巡拝発起』とあり、この年が始まりとされています。

しかし、いつの間にか途絶え1914年(大正3年)に『浪速七福会』が復興し、その後『大阪七福神社寺会』に引き継がれて現在に至っています。

真田の抜け穴跡|歴史のロマンに浸る

こちらが『三光神社』の人気スポットである『真田の抜け穴跡』です。

本殿から階段を下った所にあります。

この地には昔、大坂城の出城である『真田丸(偃月城)』があり、徳川家康との大坂合戦の頃、真田幸村が大坂城から偃月城(えんげつじょう)まで地下道を造ったとされています。

ここがその大坂城とを結ぶ抜け穴伝説のある場所です。

現在の研究によって本来は別の場所にあったと言われていますが・・・。

普段は鉄格子がはめられていて中に入ることはできませんが、毎年11月第1日曜日には『真田まつり』が開催され、内部まで公開されます。

ただ、実際穴の中は行き止まりになってるようです。

真田幸村の像

『真田の抜け穴跡』の脇には真田幸村公の陣中指揮姿の銅像があります。

台座には信州上田の真田家の菩提寺である長谷寺より取り出した石(名付けて真田石)が置かれています。

1987年(昭和62年)に建立されました。

右手を高々と挙げて凜々しい姿は男から見ても惚れ惚れします!

3つの末社

石段を降りると左手に鳥居が見え、その先に末社である3社が鎮座しています。

向かって左に『野見宿禰社』、中央が『武内宿禰社』、右に『主守稲荷社』がです。

【野見宿禰社】
野見宿禰(のみのすくね)は出雲国の勇者で、土師氏(はじし)の祖先です。

古事記によると、垂仁(すいにん)天皇の御代、垂仁天皇の命により、こちらも力自慢で有名だった当麻蹴速(たいまのけはや)と対戦。

蹴りあいの結果、蹴速の腰を踏み折って勝利。蹴速は死んでしまったという。

『角力の神』としてお祀りされています。

当時は高貴な方がなくなるとその近臣も殉死し共に埋める風習があったのを、土人形を造り人間の代わりにすることを考え(※埴輪の起こり)、それを墳墓(ふんぼ)に捧げることで殉死を廃止するという提案しました。

その功績によって土師臣を賜り、以降、土師氏は古墳時代が終わるまで、天皇の葬儀を仕切ることになる。

【武内宿禰社】
武内宿禰(たけのうちのすくね)は、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇と神功(じんぐう)皇后に仕えるほど長命を保ち、蘇我氏・平群氏・紀氏・葛城氏など、中央豪族の祖となったといわれる、330歳まで生きた(?)伝説の人物です。

これは異常ではないか?役職名ではないか?

実在しない天皇がいるのではないか?

そもそも武内宿禰は架空の人物ではないか?

などいろんな説があります。

よって『長寿の神』として信仰を集め、浪速七福神の『寿老神』は、この『武内宿禰社』です。

【主守稲荷社】
加賀宰相(さいしょう)候の陣屋がこの辺にあり、宰相山というここは狐の穴が多く、本社の側に稲荷社をお祀りしています。

五穀をはじめすべての食物を司る神です。

八兵衛大明神|芸道の神

道頓堀中座(※大阪府大阪市中央区にあった劇場)の閉館に伴い、劇場にお祀りされていた『芸道の神』とされている『八兵衛大明神』がお遷しされました。

歌舞伎役者や松竹新喜劇の方々の崇敬が篤かった事が知られています。

片柱の鳥居|戦火の名残

三光神社に来たら是非見て行ってほしいお薦めスポットが北の参道に立っている『片柱の鳥居』です。

写真の左側、鳥居の前に礎石(そせき※建造物の基礎となる石)があるのが分かるでしょうか?

三光神社の各社殿は1945年(昭和20年)の空襲によって全て焼失しました。

現在の鳥居は戦後に建てられたもので、その鳥居の前に戦災で残ったのが『片柱の鳥居』です。

戦争の恐ろしさや愚かさ、そして平和の尊さを後世に伝えるため、あえてここに残しているとのことです。

ちなみに、この三光神社の裏手には広大な陸軍墓地が広がっています。

御朱印|72枚目の御朱印を頂きました!

こちらが『三光神社』の御朱印になります。

しっかり六文銭の朱印が入っています!

御朱印は社務所で頂けますが、社務所が開いている時間は朝9時30分から夕方16時00分までです。

初穂料300円。

アクセス|駅から近いので行きやすい

JR環状線『玉造駅』下車:徒歩5分(350m)

Osaka Metro長堀鶴見緑地線『玉造駅』下車:2番出口から徒歩2分

三光神社:〒543-0013 大阪府大阪市天王寺区玉造本町14−90

まとめ|真田幸村ゆかりの神社!

『三光神社』は如何でしたでしょうか?

境内は比較的小さめですが、日本全国で唯一の『中風封じの神』であったり、真田幸村ゆかりの地であったり、大阪七福神巡りの一つであったり、『片柱の鳥居』があったりと見どころ満載です。

『三光神社』を参拝する際の参考にして頂ければ幸いです。

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