【安居神社】真田幸村の終焉の地!幸村の魂が眠る神社を参拝!

大阪市天王寺区に鎮座する『安居神社』は別名『安居天満宮』、『安居天神』とも呼ばれています。

大坂夏の陣で孤軍奮闘し、後に徳川家康に『日本一の兵』と呼ばれた、戦国武将の中でもダントツの人気を誇る真田幸村(真田信繁)の『終焉の地』としても知られおり、聖地巡礼のように多くの歴史好き、幸村ファンが訪れています。

今回はそんな『真田幸村の終焉の地』である『安居神社』の歴史や見所を分かりやすくご紹介します。

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安居神社の歴史を簡単にご紹介

安居神社本殿

まずは『安居神社』の歴史や簡単にご紹介します。

『安居神社』は『安居天満宮』とも言います。

神社の創始は不詳ですが、『菅原道真』が祀られる40年以上前からは少なくとも存在して『少彦名神』を祀っていたことから、少なくとも1,100年以上の歴史があることが分かり、聖徳太子が四天王寺を建てられた頃であろうと言われています。

『安居神社(安居天満宮)』のご祭神は『大国主命(おおくにぬし):出雲大社のご祭神』と共に国づくりをした『少彦名神(すくなひこなのかみ)』でした。後に『安居天満宮』という名前が示すように、天慶5年(942年)に『菅原道真』を合祀して天満宮となっています。

その理由は、昌泰4年(901)『菅原道真』が京都から太宰府に左遷された際、ここへ立ち寄って安井(休憩)しました。当時、道真に同情した村人が『おこし』を差し上げると、お礼にと菅原家の紋所『梅鉢』をもらいました。

これが、今でも大阪名物の『粟おこし』の商標の『梅鉢』となったと言われています。

安居神社鳥居

ちなみに、鳥居の『安居神社』の文字の間に『梅鉢』の模様が入っています。

『安居神社』はその道真の死後の天慶5年(942)、道真の霊を祀るために村人たちが建てたものと言われています。また、当地は四天王寺の僧侶がここで夏安居(げあんご:雨季の間に外出を控え寺院で修行に専念すること)することもあり、『安井』が『安居』になったといいます。

また、『安居天神』は大丸の創業者『下村彦右衛門』が信仰したといいます。『安居神社』のご利益をうけて大丸は発展したので、『安居神社』は『大丸天神』とまで言われたそうです。

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安居神社のご祭神とご利益

安居神社本殿②

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ご祭神

『少彦名神(すくなひこなのかみ)』『菅原道真公』

常世の国(海の彼方にある異世界)から来訪した神様で、蛾あるいはミソサザイ(鳥)の皮の服を着られるほど小さい体をしているとされます。あの大国主命と組んで国造りを行ない、医療・酒造・温泉などの神としても崇められています。

『安居神社』では古くから『少彦名神』を祀っていましたが、記録が散逸したため祀り始めた時期は分からなくなっています。『大国主命』とは仲が良く、祀られる際もペアで扱われることが多いですが、『安居神社』では『少彦名神』のみが祀られています。

平安時代中期の学者・政治家です。宇多天皇を始め周囲から多大な信頼を得ていましたが、藤原時平の讒言により太宰府に左遷されそこで亡くなりました。彼はその後神として祀られることとなり、生前の頭の良さから『学問の神様』として親しまれています。

安居神社自体の創建は不明ですが、菅原道真が祀られる40年以上前からは少なくとも存在して少彦名神を祀っていたことから、少なくとも1,100年以上の歴史があることが分かります。

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ご利益

『起業成就』、『合格祈願』、『五穀豊穣』、『雷除け』、『病気平癒』、『学業成就』、『商売繁盛』などのご利益で知られています。

使いの牛

拝殿の横には『菅原道真公』が祀られているので、『使いの牛』が佇んでいます。

『使いの牛』とは、『神使(=神様の使者)の牛』という意味でご祭神『菅原道真公』のお使いです。

古くから、傷や病気の箇所をさすると回復するとの言い伝えがあります。また頭を擦ると知恵を授かり、賢くなるとも!

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境内の見所

真田幸村終焉の地|座り込んでいる珍しい像

真田幸村の終焉の地

『安居神社』は慶長二十年(1615)の大坂夏の陣の時、真田幸村(信繁)が最後を迎えた場所『真田幸村の終焉の地』と言われています。

慶長十九年(1614)の大坂冬の陣の後、徳川家康によって大坂城の外堀は埋められ、大坂城は多くの防御機能を失いました。

そして翌年の夏の陣。大坂方の軍勢は、籠城するよりはと思い、幕府軍に対し野戦にて出陣することに。徳川家康は『3日で終わる』と余裕の出陣でしたが、大坂方の猛攻に幕府軍は手こずります。

この時、真田幸村は徳川家康本陣に突撃!

記録によると3度の突撃で、本陣の旗は倒れさ、家康本人も逃げ出す有様だったとか。しかし、多勢に無勢で、真田軍は徐々に押し戻され、幸村も『安居神社』に落ち延び、この地で最後を迎えたと伝わります。

松の木

そして幸村が最後を迎えたのが、境内にあった松の木のふもと。

亡くなった後、『さなだ松』として命名され、後の世に伝えられています。ちなみにもともとあった松は枯れてしまったらしく、現在は2代目の松です。

幸村の最期に関しては、この近くの田で討ち取られたという説もあります。

甲冑を外し鉄砲を置き、座り込んでいる銅像というのは珍しいみたいです。『終焉の地』という事なので、家康軍に突撃した後のお姿なのでしょう。

稲荷大明神

稲荷大明神

本殿の後方に『稲荷大明神』があります。

五穀をつかさどる神『宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)』を主祭神としています。

『五穀豊穣』、『商売繁盛』、『衣食住に関わるあらゆること』、『諸願成就』、『産業興隆』などなど、あらゆることに対してご利益があるとされます。

金山彦神社

金山彦神社

本殿左側には『金山彦神社』があります。

『金山彦神(かなやまひこのかみ)』・『金山姫神(かなやまひめのかみ)』・『淡島神(あわしまのかみ)』が祀られています。

鉄工・金属業・農土木業など、火に関わる事業に功徳があるといわれています。

かんしずめの井

境内の一角には、古くより『癇鎮めの井(かんしずめのい)』と呼ばれる清水が湧き出る井戸があったのですが、周辺の開発の余波で、現在は枯渇状態になっています。

七名水の一つとして名を馳せた『安居の清水』として伝えられていますが、今は手入れをされておらず近づくことも出来ません。

この水を飲むと、『怒りを鎮めるほどのおいしい水』という事で、『癇癪(かんしゃく)が治る』=『いかりを鎮める』と言われていたらしい。

御朱印|30枚目の御朱印を頂きました!

こちらが『安居神社』の御朱印になります。

真田家の家紋『六文銭』と菅原道真公の『梅鉢』がしっかりと記されています。

アクセス|四天王寺からも近いです!

安居神社入り口

電車の場合

Osaka Metro谷町線『四天王寺夕陽ヶ丘駅』下車:徒歩6分

Osaka Metro堺筋線『恵美須町駅』下車:徒歩10分

JR大阪環状線『天王寺駅』下車:徒歩10分

車の場合

駐車場はないので、お近くのパーキングに停める必要があります。

安居神社:〒543-0062 大阪市天王寺区逢坂1-3-24

参拝気分を味わおう!

まずは動画を見て境内の雰囲気を味わって下さい!

まとめ|真田幸村の魂を感じに参りましょう!

安居神社入り口②

戦国武将の中でもダントツの人気を誇る真田幸村(真田信繁)の『幸村終焉の地』である『安居神社』は如何でしたでしょうか?

真田幸村の魂を感じたいという方は是非押さえておきたいところですね。

また、『安居神社』の近辺には見所満載の神社仏閣が数多くありますので、ご一緒に参られては如何でしょうか?

近くにあるお薦め神社仏閣はこちら。

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