関西では『石切さん』と親しまれている『石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)』という名前は、石を切る鋭い剣(つるぎ)や矢を意味し、『でんぼ(関西方言で、腫れ物のこと)の神様』として知られ、現在は『でんぼ』が転じて『ガン封じの神様』として崇敬されており、願掛けに来られる方がとても多い神社です。
今回はそんな『石切劔箭神社』の歴史や境内の様子などを分かりやすくご紹介します。
まずは石切劔箭神社の歴史を学ぼう!
まずは『石切劔箭神社』の歴史から学びましょう!
『石切劔箭神社』の始まりに関しては、社殿や宝庫が足利時代末期に焼失した為に明確な事は分からないらしいです。
しかし神社伝来の『遺書伝来記(いしょでんらいき)』によると、紀元前659年(神武天皇皇紀2年)、つまり今から2700年近く前に創建されたみたいです。
もともとは、ここから1㎞程山を登った『石切劔箭神社上之社(かみのしゃ)』に『饒速日尊(にぎはやひのみこと)』をお祀りしたのが始まりで、のちに『下之社(しものしゃ)※現在の石切劔箭神社』に『可美真手命(うましまでのみこと)※饒速日尊の子』が祀られたそうです。
そして、今はここ下之社が『本社』となり、二柱を一緒にお祀りしているとの事です。
石切劔箭神社の御祭神とご利益とは?
それでは『石切劔箭神社』の御祭神とご利益についてです。
御祭神
・饒速日尊(にぎはやひのみこと)
『十種神宝(とくさのかんだから)』を携えて、天の磐船で河内国に降臨した『天孫(てんそん※天の神の孫)』です。
日本の初代天皇『神武天皇(じんむてんのう)』が大和入りする以前に大和に君臨していた大王という説もあります。
その『十種神宝』は、重篤な病を治し、死者を蘇らせるほどの強大な霊力を持っていたと言われています。
『古事記』、『日本書紀』と並ぶ史書『先代旧事本紀』に、『天璽瑞宝十種(あまつしるし・みずたから・とくさ)』と称されて登場する、霊力を宿した十種類の宝のことである。
記述によると『饒速日命』が天降りする際に、『天神御祖(あまつかみみおや)』から授けられたとされています。
・可美真手命(うましまでのみこと):饒速日尊の子
『饒速日命』が大和入りする際に娶った『三炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)』との間に生まれた子供。
『神武天皇』に『十種神宝』を献上し、その後天皇のための祭祀を任さ、また王城の警護の任にもあたったとされます。
ご利益
『石切劔箭神社』という名前は『御神威が、強固な岩でさえも切り裂き、貫き通すほど偉大である』という意味であり、『鋭い刃物のような威力は、腫れ物を治してくれる!』と信じられています。
そもそも、『でんぼの神様』として知られるようになった『でんぼ』とは本来『伝法(でんぽう)』の事で、『伝法』とは『禁断の秘法』の事らしい。
これが『病に効く』ということ合わさって『でんぼの神様』と変換されて広まったらしいです。
なのでご利益は、『病気平癒』や『難病封じ』、『ガン治癒』を祈願する人々の崇拝を受けています。
境内の見どころ
それでは早速境内に入っていきます。
絵馬殿|てっぺんに注目!
こちらが楼門である『絵馬殿』です。
屋根に注目して欲しいのですが『石切劔箭神社』の社名の由来にもなっている、天に向かってそびえる剣と矢のモニュメントがあります。
そして、絵馬殿の左右に『饒速日尊像』と『可美真手命像』が安置されている。
三之鳥居
こちらが鳥居です。
水神社|水の神様・水のご利益
鳥居を入ってすぐ左手には、小さな池に浮かぶのは『水神社』があります。
『罔象女神(みずはのめのかみ)』と『天水分神(あめのみくまりのかみ)』がお祀りされています。
『雨乞い、晴れ乞いの神様』です。
五社明神社|商売をされてる方にお薦め!
鳥居を入って右手には『五社明神社』です。
御祭神は『恵比須大神』、『大国主大神』、『住吉大神』、『稲荷大神』、『八幡大神』がお祀りされています。
ご利益は『商売繁盛』、『大漁成就』、『五穀豊穣』、『農業隆盛』などが期待できます。
商売繁盛のスペシャリストの凄まじい面々の神様を5人もお祀りされています!
神武社|開運の神様
『五社明神社』のお隣は『神武社』です。
『神武天皇』がお祀りされています。
日本一運勢の強い『開運の神様』であり、『延命長寿の神』として信仰されています。
本殿
鳥居を入って正面に『本殿』がございます。
現在の『本殿』は昭和7年(1932)造営になるもので、その規模は明治時代と同じということです。
百度石|全国的有名なお百度参り
そして本殿前にある『百度石』が、『石切劔箭神社』の中でも全国的に有名な『お百度参り』をする所です。
『本殿』と『三之鳥居』の間を、平日でも本当に多くの人が列をなしてぐるぐると回っています。
こんなに大勢の方が、一緒にお百度参りをされている様子に出会うのは、全国でもきっとここだけでしょう。
それだけ『病気平癒』や『ガン封じ』に対する力が強いと信じられている証拠だと思います。
まず拝殿で参拝をしてから始めます。
『授与所』の向かいの建物で『こより』を頂けるのですが、一周するたびに『こより』を折って数を記録していきます。
授与所
こちらが『本殿』右横にある『授与所』になります。
乾明神社|学問の神様
こちらは『本殿』の左奥にある『乾明神社』です。
江戸時代の中頃、この地方の庄屋で大変信望の厚かった乾市良兵衛という人がおり、彼は飢饉と重税にあえぐ人々のために命をかけてお上に直訴したが、極刑に処せられました。
その後、代官であった小堀家によって丁重にお祀りされたのがここ『乾明神社』です。
御祭神は『應壅乾幸護(おうよういぬいこうご)大明神』で、『学問の神』、『知恵の神様』として崇敬を集めています。
現在はその徳を授かりに多くの受験生が参拝に訪れます。
穂積殿|毎月7日、17日、27日がお薦め!
こちらは『穂積殿』です。
こちらの『穂積殿宝物館』では、年に数回、宝物館が特別公開されます。
また、毎月7日、17日、27日は、穂積地蔵尊のご縁日で、穂積殿の門が開いています。
室町時代に兵火にかかるまで、『石切劔箭神社』には『神宮寺(じんぐうじ)』として栄えていた『法通寺』があり、その『法通寺』にあった地蔵尊四体と、法通寺の跡地にあった穂積堂に祀られていた霊神像三体を合わせた七体がお祀りされています。
『穂積地蔵七神』と呼ばれていて、ご縁日のみお顔を拝することができます。
祈り亀|願いを亀に託します!
『本殿』と『授与所』の間を抜けると右手に見える小さな池。
そこの看板には『願いを託す祈り亀』と書いてあります。
この小指の先ほどの小さいピンクの亀は『祈り亀』といい、お腹の部分が空洞になっています。
そこに願いを書いた書を入れて、ここに放します。
ここに放された亀は、あなたの代わりにずっと静かに祈り続けてくれるというのです。
この『祈り亀』は、もともと境内の『水神社』で生きていた亀の甲羅に願いを書いて放っていたことが起源のようです。
今でも『水神社』では甲羅干しをしている亀が見られます。
そして、願いが叶うと、『石切劔箭神社上之社』にあ『お礼池』に、新たに購入した亀『お礼亀』を置くという『お礼参り』があります。
穂積神霊社|3つのご利益を頂ける!
こちらは『穂積神霊社』です。
複数の朱色の鳥居が立ち並び、鮮やかです。
奥に進み、本殿前に並んでいる3つの石を撫でると、『病魔除け』・『災難除け』・『学問向上』のご利益を頂けるそうです。
御神木
こちらは『本殿』左手にある『御神木』は樹齢約470年のくすの木は、東大阪市の天然記念物です。
御朱印|38枚目の御朱印を頂きました!
こちらが『石切劔箭神社』の御朱印になります。
アクセス|駐車場もあるから便利!
電車の場合
近鉄けいはんな線『新石切駅』:徒歩7分
近鉄奈良線『石切駅』:徒歩15分
車の場合
阪神高速13号東大阪線『水走』出口より直進し四つ目の信号を左折:約5分
大阪外環状線、被服団地前交差点を東進約5分
北駐車場と南駐車場の合計2箇所あります。
有料駐車場で、1時間300円、以後30分毎に100円となっています。
石切劔箭神社:〒579-8013 大阪府東大阪市東石切町1丁目1丁目1
まとめ|お百度参りの賑わいは凄い!
平日でも『石切劔箭神社』は沢山の方々が『お百度参り』をされています。
関西以外からも来られてる方も多いので、それだけ信仰が篤いというのが窺える神社です。
ここから1km先の『石切劔箭神社上之社』と一緒に参拝してみては如何でしょうか?