【鵲森宮(森之宮神社)】聖徳太子が日本で唯一創建した神社はココ!

JR・Osaka metro『森ノ宮駅』の向かいに鎮座する『鵲森宮(かささぎもりのみや)通称:森ノ宮神社』は聖徳太子が創建した、唯一の神社として知られています。

今回はそんな聖徳太子ゆかりの神社『鵲森宮』について分かりやすくご紹介します。

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鵲森宮の歴史から学びましょう!

まずが『鵲森宮』の歴史から学びましょう!

聖徳太子によって589年(崇峻天皇2年)に創建された1400年以上の歴史を持つ古社です。

古墳時代、仏教を受容するか否かで蘇我氏と物部氏が対立。

聖徳太子が物部氏との戦争で必勝を祈願し、戦勝後に四天王をお祀りすると誓って建てられたのは四天王寺です。

無事に戦いに勝った聖徳太子は、『鵲森宮』を創建し『用明天皇(ようめいてんのう)』、『穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとのひめみこ)』の両親をこの土地にお祀りして寺の鎮守としたそうなのです。

四天王寺はその後、現在地の荒陵山(こうりょうざん)に移転し、当社だけが残ったとされています。

また一説によるとこの地は物部守屋の邸宅跡であり、聖徳太子が物部守屋の怨霊を鎮魂するために四天王寺を建立したとも言われています。

『鵲(かささぎ)』とはカラス科の鳥で、日本書紀によると推古天皇6年、聖徳太子に命により新羅へ渡った『吉士盤金(きしのいわかね)』が持ち帰り、難波の杜で飼ったとされています。

この難波の杜が『鵲森宮』で、次第に『鵲の森』と呼ぶようになったと伝えられています。

『鵲森宮』は非常に小さな神社ですが、かつては約800m四方に広がり、楼門、拝殿、幣殿、本殿が縦に並ぶ大きな神社だったそうです。

ちなみに、聖徳太子のお母さんである『穴穂部間人皇后』を祀る日本で唯一の神社です。

鵲森宮の見どころ

それでは境内の見どころをご紹介します。

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本殿|聖徳太子をお祀り!

こちらが本殿になります。

ご祭神は『用明天皇』『穴穂部間人皇后』『聖徳太子』です。

期待出来るご利益は国家安寧、子育大願、所願成就、運気上昇、厄除、除災招福、武運長久です。

五幸稲荷社|宇賀御霊命を祀る日本唯一の稲荷社

こちらは本殿の向かいにある『五幸稲荷社』が鎮座しています。

由緒書によれば、火難・水難・盗難飢餓・産難を除く、宇賀御霊命(うかのみたま)を祀る日本唯一の稲荷社との事です。

現在は、猿田彦命・大己貴命・熊鷹大明神・烏丸明神・天神・八幡大明神・忌部社・真目宮等を合祀しているとの事です。

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亀の井|聖徳太子が見つけた温泉!

こちらは本殿向かって左手にある『亀井水』です。

1400年前、聖徳太子が『鵲森宮』を建てる際、温泉が湧いているのを発見!

病の人に入湯を許すと、病が癒え、命を保つと評判になり、門前に市をなす賑わいとなったらしいです。

昔はJR森ノ宮駅辺りにあり、その井戸枠が『鵲森宮』の境内に移されました。

手水舎

こちらは手水舎です。

手水舎の横にはおみくじがたくさん結ばれてました。

戦争の跡|神職さんお話を聞かせて貰えた!

こちらは本殿の柱で戦争の傷跡です。

『鵲森宮』付近は戦争の空襲で一体は焼け野原になりました。

しかし、不思議なことに『鵲森宮』の本殿だけが残ったのです。

(一体が焼け野原で本殿だけが残ってる写真を神職さんが見せてくれました)

そして、この柱の傷が神職さん曰く、その際の爆弾の破片の跡とのことです。

タイミングが良かったら、神職さんに写真も見せて貰えて、お話を聞かせて貰えるかもしれませんよ。

その他にも『鵲森宮』の歴史について非常に興味深いお話を聞かせて頂きました。

大伴家持歌碑|鵲森宮に関係の深い和歌

拝殿の隣に、古代の有名歌人『大友家持(おおとものやかもち)』の歌碑が建っています。

『鵲(かささぎ)の 渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける』と刻まれていますが、これは小倉百人一首に収蔵されている一首です。

『鵲森宮』の前に『鵲橋』が実在していたことから、『鵲森宮』に関係の深い和歌として歌碑が建てられました。

この付近に架かっていた橋と付近の情景から、とのこと。

御朱印|73枚目の御朱印を頂きました!

こちらが『鵲森宮』の御朱印になります。

種類は1種類で初穂料は300円です。

『聖徳太子創建の宮』という青色のスタンプが入ります。

御朱印は授与所で頂くことができます。

アクセス|駅からすぐです!

JR大阪環状線・地下鉄Osaka Metro鶴見緑地線『森ノ宮』下車すぐです。

鵲森宮:〒540-0003 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1丁目14−2

まとめ|聖徳太子が創建した日本で唯一の神社

『鵲森宮』は如何でしたでしょうか?

『鵲森宮』は日本で唯一といわれる聖徳太子が創建に関わった神社です。

本来は四天王寺の鎮守社であったとも考えられており、日本書紀にもその存在が語られるなど歴史的な史料としても貴重な遺構です。

この記事を是非、『鵲森宮』の参拝の際の参考にして下さい。

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