寺院史を黒く彩るもう一つの「お坊さん」(前回の続き)

スポンサーリンク

ご挨拶

善逝(ぜんぜい)と申します。

ご縁あって、このなないろでブログ記事を掲載いただくこととなりました。

仏教にまつわる歴史的なお話しですとか、参拝や、仏事の作法などなど・・

いろいろお伝えしていきたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

エピソードⅢ

前回までで、衆徒と、そこから派生した僧兵、聖の存在についてお話ししました。

前回の記事

ご挨拶 善逝(ぜんぜい)と申します。 ご縁あって、このなないろでブログ記事を掲載いただくこととなりました。 仏教にまつわる歴史的なお話しですとか、参拝や、仏事の作法などなど・・ いろいろお伝えしていきたいと思っています。[…]

奈良時代から、平安時代末期にかけて、本来学侶のための寺院に、正式な僧侶でない衆徒が入り込みます。そして、律令政治が力を失う頃、衆徒は経済的、軍事的に寺院の実質的な実力者になっていきます。

ここで、衆徒ともう一方の学侶についても説明が必要かと思いますので、少しその話をいたします。

お釈迦様ご存命の頃、お釈迦様を慕って、たくさんの人がお釈迦様の傍に集まりました。お釈迦様は一か所に留まらずインド各地を回られましたが、もともとインドでは出家(文字通り、家を出るという意味です)して、苦行者になるという風習もあったため、精舎と言われる修行場に留まる人、あるいはお釈迦様と同行した人などが相当数いたようです。

人が集まって集団生活をすると、必ずもめごとがおきますから、集団生活上の約束事が作られていきます。この約束事が後に戒律となっていくのですが、つまり出家をしてお釈迦様の下で修行をするためには、授戒を受けて、戒律を守らなければならないという図式が出来上がりました。

その後、仏教が中国に伝播すると、僧侶は免税などの特権を受けることになったことから、勝手に僧侶を名乗る人物も出てきます。

当然、僧侶の身分を国が管理することとなり、国の許可を受けた者だけが得度式において戒を受けることになりました。

やがて、平安時代末期~鎌倉時代初期になると、朝廷の中央集権の力が弱まり、新しい仏教の宗派が作られると、国の関与もなくなり、各本山などで独自に戒を授ける許可を与える形に変わっていきます。

しかし、もともと厳しい選別によって僧侶が選ばれたことから、本山の許可制となっても、やすやすと僧侶になれることはなく、僧侶になれないものは衆徒の身分に甘んじるという基本的な構造は江戸時代の頃まで残ることになります。

今でも、修行僧になる時は、戒を授かり、その証として度牒という律令で規定されていた公文書形式の文書(発行は本山ですが)をもらいます。

また、戒を授かった僧侶としての名前をいただきますが、この名前を僧名とせず、戒名と呼ぶ例があるのは、こうした意味から生じています。

また、仏式のお葬式では故人に戒名をお授けするのは、出家をして僧侶としてあの世に送り出すという意味も含まれています。

細かくて、ややこしい構造ですので、難しいかもしれませんが、学侶になるためには戒律を課し、さらに国や本山の承認がないと学侶にはなれないというのがわかっていただければ、ここでは良いかと思っています。

スポンサーリンク

エピソードⅣ

このように、日本においては元々戒律を受けることそのものが国の許可制であって、国の許可がなくなっても、誰でも僧侶(学侶)にはなれない形が残りました。

言い換えると、ある種のエリートとして、寺院社会の頂点に僧侶(学侶)が居続けることになります。

しかし、前に述べた通り、寺院経営の実質は衆徒が握ることになりますから、当然、このゆがんだ構造は、学侶と衆徒との間で対立が生じましたし、時に学侶方が衆徒との抗争に負けるということもしばしば生じました。

衆徒は強い権力を持ち、一時は天皇や上皇ですらも押さえられない存在になりましたが、このことはやがて、戦国時代末期の軍事的権力者である織田信長による比叡山焼き討ちや、豊臣秀吉の根来寺の雑賀攻めなどに繋がっていきます。

この後、江戸時代に入り、力を持っていた寺院は、軍事的、経済的に制限を受け、影響力をほぼ失い、衆徒はその存在意義もなくなって消滅していきます。

ただ、衆徒が消滅していく直前の戦国時代は、衆徒が最も活躍した時代でもあります。

貨幣経済が日本国中に広がって、より経済活動が活発になったことが原因で、経済力と軍事力が飛躍的に上がっていき、これらを手にした人や集団が権力を手にします。

根来寺の衆徒は鉄砲集団を形成して戦国大名と争いましたし、興福寺の衆徒からは戦国大名の筒井氏が出てきます。また、聖としては、念仏宗、特に一向宗(浄土真宗)は、一向一揆の中心的な存在として全国で戦国大名と争います。

余談ですが、この頃の奈良では清酒が開発され、その製造販売権を持った興福寺などの衆徒は莫大な利益を手に入れます。

奈良漬になぜ酒粕が使われているかと言えば、この清酒製造により生じた酒粕を再利用したことに由来します。

長くなりましたが、日本では学侶と衆徒の二重構造があり、戒律を守る学侶たちと、世俗的な衆徒たちが日本史を彩り、さらに衆徒が権力を握ったことから、寺院史の「黒歴史」ともいえる争いごとが行われた理由も、そんなところからきています。

今回は、またこのへんで・・

あなたの心に涼やかな風がゆったりと流れることがあれば幸いです。

プロフィール

善逝和尚

アラフィフの現役の密教僧侶

大学卒業後、教職員等として、教育畑で働き、20代後半から、心の成長についての探求を始める。

一念発起し、教職員の仕事を辞め、大学院で臨床心理に関する研究と心理分析に関する実践を行う。

大学院修了後、児童の心理相談員をする傍ら、在家でありながら、僧侶の資格も持ち、秘法の伝授も数多く受け、加持祈祷や、お祓いなども多数行う。

現在、スッタニパータなどの原始経典の読み取りに力を入れて、釈尊のお説きになった悟りとは何かを追及している。

M.Ed取得、心理臨床学会員

スポンサーリンク
最新情報をチェックしよう!