【豊国神社(京都)】豊臣秀吉が祀られた出世開運パワースポット神社!

歴史の教科書でおなじみの天下人『豊臣秀吉公』をお祀りしてるのが京都にある『豊国神社(とよくにじんじゃ)』です。

『豊臣秀吉』は足軽百姓から天下人まで上り詰めたことから、仕事運や出世開運、立身出世のご利益が期待出来ます。

今回はそんな『豊国神社(とよくにじんじゃ)』の歴史や見どころを分かりやすくご紹介します。

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豊国神社の歴史から学びましょう!

まずは『豊国神社』の歴史から学びましょう!

1598年(慶長3年)に豊臣秀吉公が亡くなり、死後、その遺言によって、翌年の1599年(慶長4年)に亡骸は現在の豊国神社から東方の位置にある阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)山頂に埋葬されました。

遺体が火葬されなかったのは豊臣秀吉が『神になる』ことを望んだからだとも言われています。

秀吉の死後、阿弥陀ヶ峰のふもと現在の『豊国廟(ほうこくびょう)』に社殿の建築が始まります。

当時はまだ秀吉が亡くなったことは秘密にされていたので方広寺(ほうこうじ)の鎮守社(ちんじゅしゃ)と言われていました。

1599年(慶長4年)、後陽成天皇(ごようぜいてんのう)から秀吉に『正一位 豊国大明神』の神号を賜り、山麗にお社が建てられました。

その神社が『豊国神社』の起源で広さ約30万坪という、広大なものであったらしいです。

創建後、多くの人から信仰を集めましたが、1615年(元和元年)の大坂夏の陣で豊臣家の滅亡し、その後徳川家康公の命により取り壊されました。

また、『豊国大明神』という神号も剥奪され、神ではなくなってしまい、誰も参拝ができない草むら状態が続きました。

この神社が蘇ったのは、徳川幕府が終焉を迎えた明治時代になってから。

その後、明治維新を迎えるまで、250年以上も荒れ果てた状態が続きました。

明治になり、大阪を行幸された明治天皇は秀吉公を『天下統一を果たしたが、幕府を作らず天皇を尊重した人物』と評価し、1868年(明治元年)に明治天皇の意向により再興されることになります。

そして1880年(明治13年)に、現在の場所に社殿が完成したのが、現在の『豊国神社』だそうです。

豊国神社の見どころ

それでは境内の見どころを紹介します。

境内は比較的小さめです。

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鳥居

こちらが正面の鳥居になります。

『豊國大明神』と記された青銅製の扁額が掲げてあります。

唐門|国宝の桃山三唐門

鳥居から入り参道正面にあるのは、豊国神社のシンボルともいえる『唐門』です。

こちらの『唐門』は太閤となった秀吉公が隠居生活を送った伏見城の門の遺構とされ、国宝にも指定されています。

豊国神社に来る前は伏見城から二条城、南禅寺中門の右手前にある塔頭の金地院(こんちいん※京都府京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の寺院)を経てここ豊国神社に移築されたもので、長い歴史のなか人々を見守り続けてきた門です。

この門は西本願寺、大徳寺の唐門とともに『国宝の桃山三唐門』の一つとされており、豪華な装飾が随所に見られ、桃山時代の雄大で優美な雰囲気をかもしだしています。

『豊國大明神』の額は創建当時のものみたいです。

唐門には『鯉の滝登り』の彫刻があり、鯉は竜門の滝を登って龍になるとの故事があることから、この唐門は出世開運の社にふさわしく、立身出世の関門『登竜門』で、この唐門をくぐると出世できると言われています。

普段は唐門から中に入れませんが、正月三が日には特別に、『登竜門』ともいわれる唐門をくぐって、その奥にある拝殿から本殿の前まで進んで、参拝することができます。

唐門の前に連なって奉納されている絵馬は豊臣秀吉の馬印『千成瓢箪(せんなりびょうたん)』をモチーフとして作られました。

天下統一を果たした秀吉公にあやかり、出世や開運の祈願を絵馬に託す方が多いです。

ひょうたん絵馬に願い事、住所、氏名、年齢を記入し、備え付けの袋に絵馬と奉納金500円を添えて納めます。

願い事が叶うように神職さんがご神前でご祈祷してくれ、御宝前(ごほうぜん※神や仏のまえ)に1年間奉掲(ほうけい※掲げ奉ること)してくださいます。

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豊臣秀吉公を祀る本殿は唐門の先

『唐門』の先に『本殿』と摂社の『貞照神社』が鎮座しています。

普段はここより奥へは入れないので、ここより参拝しますが、正月三が日に限り、この門をくぐって本殿の前で柏手を打つことができます。

ご祭神は『豊臣秀吉(豊国大明神)』で足軽百姓から天下人までに上り詰めた出世パワーのご利益が絶大です。

さらに、明治維新に明治天皇の勅命により再興された、強運の神社です。

強力な出世開運のご利益が期待できるはずです。

一般的に豊国神社のご利益といわれるのが、出世開運・厄除招福・良縁成就・商売繁昌のご利益が期待されます。

貞照神社|北政所をお祀り

本殿の横には摂社の『貞照神社』があります。

本殿の隣に鎮座している貞照神社(さだてるじんじゃ)は、1925年(大正14年)に豊国神社内に並ぶよう創建され、秀吉の正室『北政所おね(ねね)、北政所、高台院』がご祭神としてお祀りされています。

二人は当時としては大変珍しい恋愛結婚で結ばれて以来、力を合わせ遂には天下を治める豊臣家を興し、終生仲良くお過ごしになられたそうです。

そして400年後の今でもこうしてて仲睦まじくお祀りされております。

出世に加え良縁成就のパワースポットとして人気です。

豊臣秀吉公像|24年ぶりの復活!

境内には『豊臣秀吉公之像』があります!

この像は1995年の阪神大震災で台座が大きく損傷したため、長く蔵に収蔵されていましたが、唐門の前へと復活しました。

座して真っすぐに前を見つめる姿には、かつて日本を率いた天下人の威光を感じます。

槇本稲荷神社|商売繁盛・五穀豊穣・家内安全

境内に左手には摂社の『槇本稲荷神社』が鎮座しています。

もとは『熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)』から移された鎮守社です。

ご祭神は『槇本大明神』商売繁盛・五穀豊穣・家内安全のご利益が期待できます。

宝物館|秀吉公の歯などが所蔵?!

豊国神社の『宝物館』には、歴史的に価値が高い秀吉公や豊臣家の遺品や、豊国神社に関する資料や宝物が展示されています。

秀吉公が戦場で使った武具や馬具、さらに、秀吉公の歯などが所蔵されています。

9時~17時(受付は16時30分終了)
大人/300円
高校・大学生/200円
小・中学生/100円

社務所|秀吉尽くしのお守り!

こちらが豊国神社の社務所になり、こちらでお守りなど購入いただけます。

お守りや絵馬は秀吉尽くしです。

豊臣秀吉をお祀りしていると言うことなので、ひょうたん型のお守りが多いですね!

耳塚(鼻塚)|京都市史跡に指定

神社正面の石段から30メートルほど西に向かうと小高い丘と石塔『耳塚(鼻塚)』と呼ばれる巨大な石塔は、京都に現存する秀吉公の遺構の一つと言われています。

『耳塚(鼻塚)』は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役1592年~1598年)の際、討ち取った朝鮮・明国兵の耳や鼻をそぎ、持ち帰ったものをこの塚に葬ったとされています。

1986年(昭和61)に京都市史跡に指定されました。

豊臣家滅亡のきっかけの鐘はココ!

豊国神社に隣接して『方広寺(ほうこうじ)』があります。

豊臣家滅亡の大坂の陣のきっかけとなった『国家安康(こっかあんこう)の銘鐘』があります。

高さが4.2メートル、外形が2.8メートル、厚さが0.27メートルあり、82.7トンの大きな鐘です。

鐘に書かれた『国家安康』、『君臣豊楽(くんしんほうらく)』を、徳川家康公は、この文字の並びから強引に意味付けをし、『家康』を分断して『国』を『安』んじ、『豊臣』を『君』とすれば『楽』しむと、強引に独自の解釈をし、言いがかりをつけ、大坂の陣へとつながり、豊臣家を滅ぼしたのです。

この釣鐘は、奈良の東大寺・知恩院・方広寺と日本三釣鐘として、重要文化財に指定されています。

御朱印|77枚目の御朱印を頂きました!

こちらが『豊国神社』の御朱印になります。

中央上に秀吉の家紋である『五七桐紋(ごしちぎりもん)』、中心に『出世開運 豊国神社』、下に『ひょうたん』の朱印が押されています。

通常拝受出来る御朱印は厳密に言うと2種類あり、書かれる人によって、どちらが拝受出来るか異なります。

どちらに縁があるかは、頂いてからのお楽しみです。

アクセス|無料駐車場あり!

電車・バスの場合

京阪本線『七条』駅下車:徒歩7分(550m)

市バス『博物館三十三間堂前』下車:徒歩4分(350m)

車の場合

収容台数は15台ほどの無料で停めれる駐車場があります。

豊国神社:〒605-0931 京都府京都市東山区茶屋町530

まとめ|日本で一番出世した男にあやかる!

『豊国神社』は如何でしたでしょうか?

農民の子として生まれながら、天下統一を果たして太閤にまで上り詰めた、歴史上日本で一番出世した男『豊臣秀吉公』にあやかり出世開運のご利益が期待出来ます。

天下人のパワーを感じることが出来る『豊国神社』を参拝してみては如何でしょうか。

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