【御霊神社】縁結びパワー絶大!不思議な鳥居でメディアも注目!

船場(せんば)の地でつかわれる言葉で、御寮人(商家の若奥様)をごりょんさんと呼んでいたのを語呂が似ているところから、御霊さん(ごりょうさん)と親しみをもって呼ばれてきたこの御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、淀屋橋から歩いてすぐの場所にあります!

浪速の氏神(うじがみ)とも呼ばれるこの神社は古から大阪の土地を守り、人々を繋いだとされることから縁結びに強いご利益があると言われています!

境内には大国主(おおくにぬし)を祀っている大国社もあるということでその縁結びの効果は絶大です!

まずは成り立ちから!


丸い入り江の圓江(つぶらえ)という、産土神(うぶすながみ)を祀る、圓神祠(つぶらしんし)が建てられたのが始まりといわれています。

文禄3年(1594)、豊臣秀吉が小祠乾八幡宮と源正霊社を合わせて祀る事とし、「御霊神社」という名前になりました。

商業金融の地ということで船場の商人たちがよくお参りに訪れていたそうです。また、明治から大正15年(1926)までは、境内で人形浄瑠璃の御霊文楽座の興業が行われていたらしく、夜店が並んでそれはそれはにぎやかだったそうです。

境内の見どころをご案内!

本殿の他にも東宮や松之木神社、御神木である肌まもりの木など見どころいっぱいの神社です!

マップがあるのでもしトイレにいきたくなっても安心ですね!

手水舎


参拝の前にこちらで清めましょう!

(2020・8・3時点ではコロナの影響で使えませんでした)

本殿|ご祭神


天照大神(あまてらすおおかみ)
:太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ。天岩戸の神隠れで有名な神。

津布良彦神(つぶらひこのかみ):旧攝津国津村郷の産土神(土地の守護神)

津布良媛神(つぶらひめのかみ):旧攝津国津村郷の産土神(土地の守護神)

応神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇。『日本書紀』での名は譽田天皇。実在性は定かでないが八幡神として神格化されている。

鎌倉権五郎景政公(かまくらごんごろうかげまさ):平安時代の武将。相模国鎌倉の領主、後三年の役で右目を射たれながらも奮闘した勇将。

この五柱を主祭神とします!

気になるご利益はコチラ!

厄除け、縁結び、諸事円満成就、開運招福、商売繁盛、夫婦円満、子孫繁栄

に特に強いご利益があるといわれています!

東宮


東宮には

皇大神宮、恵比須神社、猿田彦神社と摂社十二社(水神社・大雷社・龍神社・住吉社・菅原社・加藤社・多賀社・春日社・事平社・稲荷社・竈戸社・戸隠社)

がまつられています!

皇大神宮のご祭神は太陽の神、天照皇大神です!ご利益は国土安泰、五穀豊穣、生命力向上、子孫繁栄です!

恵比寿さんは商売繁盛の神様ですね!

猿田彦神社のご祭神は、猿田彦命。開運の神様です!

ここも強力なパワースポットなので忘れずにご利益をさずかりましょう!

松之木神社|大黒社


こちらは松之木神社です!

ご祭神は、松之木大神、朝吉大神です!


狐さんがいるのでここは稲荷神社ですね!ということでご利益は、五穀豊穣、商売繁盛です!


すぐ横には大黒社があります!ご祭神は、大国主命です!

縁結びにご利益ありですよ!

そしてなんとここには小さいながらも不動明王さまがいらっしゃいますよ!


ご利益は、厄除け、煩悩退散、学業成就、身上安全、立身出世、商売繁盛、健康祈願、修行者守護、戦勝、国家安泰

と、幾度となく国を守ってきたといわれているだけあって、そのご利益はとても強力なので小さいからとお見逃しなくしっかりご利益をさずかりましょうね!

八十嶋祭(やそしままつり)


八十嶋祭とは、平安時代、天皇即位後の大嘗祭 (だいじょうさい) の翌年、吉日を選んで行った皇位継承儀礼の一つです!

生島神 (いくしまのかみ) ・足島神 (たるしまのかみ) ・住吉神 (すみのえのかみ) などをまつり、国土の発展、皇室の安泰を祈ったそうです!

難波の地は、琵琶湖から流れてくる淀川と、大和から流れてくる大和側とが運んでくる土砂によって干潟ができあがりました。その干潟で島ができ、それが繋がって大阪が出来たといわれています!

その干潟に生まれた島は、大小多くの島という意味の八十嶋とよばれていました。

百人一首の

『わたの原 八十嶋かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣船』

とはこのことを読んだものです!

うつぼの碑


御霊神社の前身である圓江神社が靭あたりにあったことを記念して、境内に「うつぼの碑」が建てられました。

平安時代の圓江の名を今に伝えたものといわれています。

ちなみにうつぼとは矢を入れておくための矢巣(やす)という道具のことを指すらしいですよ!海のギャングではないです!

儀式殿:落語や芝居が行われていた!?


ある上方落語家の松田弥助という男が京都からきて、ここ御霊神社に店を開きました。

実はこの松田弥助は初代・桂文治の「師匠」というすごい人なのでした!

そして明治17年(1884)から大正15年(1926)までは人形浄瑠璃の常設小屋・御霊文楽座があったそうです!
現在は、境内に御霊文楽座跡の石碑があります!

平成10年には、その御霊文楽座跡に200名を収容できる舞台付きの小ホールの役目を持つ「儀式殿」を建てました!

ここでは文楽・落語・日舞・文化講演会などの活動や地域の活性化に役立てているとのことです!

芦田秋窓句碑


正岡子規の一門にいた大阪出身の芦田秋窓による句

幕張って 店商へる 祭かな

大坂三十三ヶ所観音参り


江戸時代、神仏習合の時代には、ここ御霊神社の境内に神社とともに神宮寺「宝城寺」があり、十一面観音様が祀られてました。

寛文年間(1661~1672)、当時の大阪に、西国三十三ヶ所霊場めぐりにならい「大坂三十三ヶ所観音参り」がつくられました。

一番札所・太融寺から時計回りに、第三十三番札所である御霊神社までの寺社を巡ることで、西国三十三ヶ所を遍路したのと同じご利益があるとして、大勢の方がこれをまわりました。

このことは、近松門左衛門の「曽根崎心中」にも書かれています!

そして現在も、毎年文化の日の11月3日には、たくさんの参拝者が訪れます!

ナニコレ珍百景にも選ばれた謎の鳥居!?


その昔、境内は今より広かったそうです。

明治時代に発令されました神社とお寺を分けなさいという神仏分離令(しんぶつぶんりれい)によって、そのお寺の敷地が切り離されました。

そして現在、神社の南側に鳥居だけが残っているというワケです!

肌守りの木


本殿の横に立っているクスノ木の御神木は、肌守りの木と呼ばれています。

戦時中、激しい空襲に耐え、境内の木の中で、唯一焼け焦げた状態から再生したというおどろきの伝説があります!

当時、お参りした人のやけどが回復したという言い伝えもあり、美肌の救世主として信仰をあつめていることから、このクスノ木は「肌守りの木」と呼ばれ、幹に手をあて祈ると肌によいといわれています!

御朱印


御霊神社の御朱印はコチラです!

アクセス|御堂筋線 淀屋橋駅からが近い!

住所
〒541-0047 大阪市中央区淡路町4-4-3

交通
大阪メトロ御堂筋線 淀屋橋駅
13番出口より 徒歩5分

大阪メトロ四ツ橋線 肥後橋駅
6番出口より 徒歩6分

まとめ|人と人の縁を繋ぎ、愛された神社

かつて船場の商人たちから愛され、様々な文化を育み、華やかな賑わいをみせていた御霊神社。

今なお、その上方文化を現在へ伝えるこの神社は、関西人でなくともぜひ一度は訪れることをオススメします!

神社近くにポツンと立つ南の鳥居はインスタ映えなんかしちゃうかも!あとインスタ映えでいうとその近くのボタニカリーさんのスパイスカレーも映えますよ〜!笑