【善名称院(真田庵)】真田昌幸・幸村父子ゆかりのお寺の見所はここ!

和歌山県の九度山にある高野山真言宗の寺『善名称院(ぜんみょうしょういん)』は真田昌幸・真田信繁(真田幸村)父子の屋敷跡に建立された寺で『真田庵』とも呼ばれています。

戦国の智将『真田昌幸・真田信繁(真田幸村)』父子ゆかりのお寺として、真田ファンを初め多くの方が参拝に訪れています。

今回はそんな『真田庵』こと『善名称院』の歴史から見どころまで分かりやすくご紹介します。

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善名称院(真田庵)の歴史

まずは『善名称院』の歴史から学びましょう!

関ヶ原の合戦後、高野山へ流罪となった真田昌幸・信繁親子とその家臣一行はまずは先祖代々の宿坊である蓮華定院女人禁制の高野山・蓮華定院(れんげじょういん※高野山宿坊の蓮華定院は、真田昌幸・幸村が逗留した高野山真言宗を宗旨とする真田家ゆかりの寺院として現存)に入りしばらく逗留した後、麓の九度山村に降りて生活するようになりました。

麓の九度山村で生活する事になったのかについては、信繁が妻を連れてきた(高野山は女人禁制)からとか、寒くて生活しづらかったとか、家臣を多く連れてきたからとか・・・諸説あるようです。

真田昌幸は九度山にて亡くなり、息子の信繁が昌幸の供養のために宝篋印塔(ほうきょういんとう※墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種)を建てます。

そして昌幸の死後、100年以上経った1741年(寛保元年)、大安上人(だいあんしょうにん)という僧侶が修行中に森の中を通りかかったところ、飛来した一羽の白鷺から『屋敷を開いて地蔵尊の堂を建て、真田公を地主権現と仰ぎ祀るべし』と告げられました。

その場所こそ、かつて昌幸の屋敷があったところでした。

大安上人はお告げ通り、この場所に『善名称院』を建てた・・・という伝説が残っています。

その後、昌幸が暮らしていた場所だったので『真田庵』と呼ばれるようになりました。

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善名称院(真田庵)の見どころ

それでは『善名称院(真田庵)』の見どころを分かりやすくご紹介します。

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山門

こちらが入り口になります。

いろいろな資料が貼られたりしてますので、ぜひ確認してみてください!

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六文銭のお賽銭箱

真田家の家紋といえば六文銭は有名ですよね!

六文銭は六道銭とも言われ、六つの世界(地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天)を表しています。

また、六文銭は三途の川を渡る際の渡し賃とも言われていて、『いつ命を落としても三途の川を渡れるように、六文銭を常に身につけておく』という意味もあったようです。

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本堂

こちらが本堂になります。

ご本尊は延命子安地蔵菩薩をお祀りしています。

誠心祈願すると安産加護、延命祈願を授かると伝えられています。

1857年(安政4年)に再建され、他に類例のない複雑な平面と構造を持つ、伽藍の中枢をなす貴重な建物です。

本堂の正面には真田幸村の『おもかる様』がいらっしゃいます。

幸村の石像は、15キロあるそうです。

これは『おもかる石』と同じで、『願いを込めた後に持ち上げて、軽ければ願いが叶う』というもの。

左側にはエンマ様のおもかる石もございます。

幸村さまエンマさまの背中に手をあてて願いをしてくださいとありました。

真田地主大権現

こちらが『真田地主大権現』で大安上人が真田昌幸の御霊をこの地の大権現の神様にして祀りました。

当初は昌幸だけだったが、後に地元の人たちによって、信繁(幸村)、大助(※幸村の嫡男)も祀られたと考えられています。

幸運の神『地主権現』として敬い祀る社で、真田家の宝物である毘沙門天と真田家三代の御霊を合祀したものです。

昔から福徳を授け給う運の神として霊験あらたかであると伝えられています。

真田昌幸公の墓

隣には昌幸のお墓があります。

かつての地元の人たちが昌幸を偲んで建てた墓です。

遺骨は分骨され、上田の長谷寺にも埋葬されました。

そばには大坂夏の陣で討ち死にした信繁(幸村)と大助の供養塔も寄り添うように建てられています。

開山堂

こちらは『開山堂』で大安上人の廟です。

大安上人の弟子・信者が境内の一隅に建て、生きている時と同様に進行し、霊験も与えてくれたと言います。

土砂堂

こちらは『土砂堂』で弥勒菩薩をお祀りしています。

大安上人は、盛んに土砂加持信仰(どしゃかじしんこう※密教で行なう修法の一つ。 清水で洗いきよめた白砂を本尊の前に置いて、光明真言を誦して護摩をたいて加持するもの)を行い、清浄な小石を納める土砂堂を創建されました。

土砂堂の前には『おもかるいし』もございます。

雷封じの井・真田幸村と大助の供養碑

こちらは慶長年間、信繁(幸村)が真田屋敷に落ちた雷を取り押さえて封じ込めて里人の難を救ったという伝説の井戸です。

実はこの井戸は真田庵の近くにある、大坂城に通じていたという『真田の抜け穴』に繋がっていて、その入り口を隠すために『雷を封じ込めたからこの井戸を開けることを禁じる』と家臣や民衆に命じたという伝説も残っています。

御朱印|110枚目の御朱印を頂きました!

こちらが『善名称院(真田庵)』の御朱印になります。

本堂の横に書き置きで置いてあります。

アクセス

南海高野線『九度山駅』下車:徒歩で8分(650m)

近くに無料で停めれる九度山駐車場(真田庵前)があります。

善名称院(真田庵):〒648-0101 和歌山県伊都郡九度山町九度山1413

まとめ|真田家ゆかりのお寺!

『善名称院(真田庵)』は如何でしたでしょうか?

真田家ゆかりのお寺で、境内には真田昌幸が神様として祀られた真田大権現、信繁(幸村)が雷を封じたとされる雷封じの井戸などがあり、真田を感じることのできるお寺となっています。

また境内には真田幸村たちの遺品を展示する宝物資料館もあります。

真田ファンの方なら、ぜひ一度『善名称院(真田庵)』に訪れてみては如何でしょうか。

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