増位山随願寺は姫路市内最古のお寺!黒田官兵衛との繋がりもご紹介!

ここ『増位山随願寺』は姫路市では『書写山圓教寺』と共に代表的な寺院として位置づけられている、非常に歴史と由緒ある天台宗の有名なお寺です。

そして、ここも『黒田官兵衛ゆかりの地』として、官兵衛ファンの方が訪れる観光スポットでもあります。

まつもとしん児
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今回はここ『増位山随願寺』を簡単に分かりやすくご紹介します。

随願寺の歴史を簡単にご紹介

随願寺
まつもとしん児
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まずは『増位山随願寺』の歴史を簡単に分かりやすくご紹介します。

『増位山随願寺』は聖徳太子が高麗僧・慧便(えべん)に山麓の井出村(現在の伊伝居付近)に『増位寺』として創建させました。奈良時代に行基(ぎょうぎ)が中興するとともに現在の増位山の山中へ移設したとされています。『書写山圓教寺』と並称される有名なお寺で平安時代に法相宗から天台宗に改宗。古今を通じて朝廷と民間からの信仰が厚く、山内に36棟もの諸堂が建ち並び、多くの僧を抱える大寺院に発展したと言われています。

しかし、戦国時代に別所長治に攻められ焼失しましたが、天正13年秀吉により再興、現在の本堂は姫路城主・榊原忠次の建立によるものです。

黒田官兵衛とのつながり

官兵衛の叔父・黒田高友はこの随願寺の地蔵院で小寺休夢(きゅうむ)と称する僧侶であった。天正元年(1573)、別所長治に攻められ全山を焼失。13年後に秀吉の命で黒田官兵衛によって『随願寺』は再建されました。また現存の本堂を再建した姫路城主・榊原忠次の奥方は黒田長政の娘です。

本堂

随願寺本堂
こちらが『本堂』になります。

元禄5年(1692)に建てられた大型『仏堂』で国指定重要文化財で、内部の見学は可能です。また、本尊の『木造薬師如来座像』は兵庫県指定文化財、脇侍の『木造毘沙門天立像』も国指定重要文化財です。

経堂

随願寺経堂
こちら『経堂』も国指定重要文化財に指定されています。

『経堂』は宝暦13年(1763)頃に建てられ、撞木(しゅもく)造りという珍しい構成をとるお堂です。

常行堂

随願寺常行堂
阿弥陀仏を本尊とし、仏道を勤め修めるお堂。

毘沙門堂

随願寺お堂
毘沙門天を本尊としてお祀りするお堂。

鐘楼

随願寺鐘楼
こちらが『鐘楼』です。

『鐘楼』は享保3年(1718)に建てられたもので、入母屋、本瓦葺、桁行3間、梁間2間、袴付で、鐘楼建築の遺構として大変貴重な存在で国指定重要文化財になっています。

榊原忠次墓所

榊原忠次墓所
江戸時代前期に姫路城主を務め、三木合戦で焼き討ちに遭った本堂を再建した榊原忠次の墓所です。

朱塗りの建造物は『唐門』と呼ばれ江戸時代の享保16年(1731)に建てられ、霊廟建築の遺構として貴重な存在で国指定重要文化財です。

門の向こうの墓碑には『徳川四天王』と言われた榊原康政の孫で須賀藩、館林藩、白河藩、姫路藩の藩主を歴任した榊原忠次の経歴などが記されているそうです。

開山堂

開山堂
境内の奥には『奥の院』と呼ばれる『開山堂』『開山堂』があります。

こちらは江戸時代初めの建築とされ、正面に承応三年(1654)の銘をもつ石燈籠が二基があり、『随願寺』に現存する建造物の中で最古のもので、国指定重要文化財です。

アクセス

随願寺本堂②

電車・バスご利用の場合

JR・山陽電鉄『姫路駅』より『神姫バス』で約20分:『白国』停留所下車徒歩、約30分
または播但線『野里駅』から徒歩30分

車利用のご場合

播但連絡道路『砥堀(とほり)ランプ』・『豊富(とよとみ)ランプ』から車で約10分
※自動車のナビゲーションは目的地「随願寺」での検索をおすすめします。

駐車場有り

随願寺:〒670-0808 兵庫県姫路市白国3丁目12−5⇒Googleマップ

まとめ

随願寺外観
現在、『書写山圓教寺』や『廣峯神社』が大河ドラマ効果があって姫路の観光スポットとして注目を集めている一方、『随願寺』は増位山の山中に静かに佇んでいます。

まつもとしん児
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静かな聖地『増位山随願寺』を訪れてみてはいかがでしょうか。

引用文献
増位山随願寺 | 観光スポット | ひめのみち
姫路の新羅国〜増位山 随願寺(ずいがんじ)〜

ABOUTこの記事をかいた人

まつもとしん児

職業:実演販売士 人生のどん底に落ちた時、たまたま知人に連れられて、関東36不動霊場を周り、巡拝結願成就し、そこから人生が大きく変わったと思っている男! そして、神社仏閣をこよなく愛するようになり、少しでも多くの方に神社仏閣の良さを伝えたいと思い、実演販売士ならではの、誰にでもわかりやすく紹介する当サイトを作りました。